首里、ここで終わったはずの戦い

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第32軍司令部壕(那覇市)| 戦跡と証言 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局

那覇市首里城の地下に、「第32軍司令部壕」があります。司令部壕は、首里城の地下を南北に横断するように掘られており、全長1キ口から2キロの壕に、1000人以上の兵士がいたといいます。6か所の入口があったとされていますが、今も残っているのは南側の1か所だけです。なお、内部は壁が崩れるなど危険なため、公開されていません。
壕のなかは、今もわき水が流れ、日々浸食が進んでいて、岩盤が大きく崩落しているところもあります。沖縄県は、司令部壕の保存や公開を検討していますが、数十億円の費用がかかるとみられ、計画は今も進んでいません。

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年5月31日 『戦いはまだ続く』
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ドイツもとっくに降伏しているのに
日本はどこまで引き延ばすつもりだったのだろうか。

 

米軍のバックナー中将は、
米軍が首里一帯を占領したことで、
『もう戦いはすんだ』と述べたのだが、

 

その見解は甘いことが判明する。

 

47年前の今日、

首里城の地下壕に、第32軍司令部の将校らが「いない」ことがわかったのだ。

 

これまで、首里城を包囲するための作戦を続けてきた米軍は、作戦を変更せざるを得なくなった。

 

もぬけの殻となった首里城を後にし、日本軍を追い、容赦なく南部へと向かう。

 

米軍の沖縄攻略を数週間で実現させるつもりでいた米軍。

 

日本軍の組織的抵抗は、もう70日ほど継続しており、あと23日も続くことになる。

 

米軍は後方の読谷などに仲間の遺体を次々と運び出しては埋葬し、大地に均等に十字架やダビデの星を並べた。

 

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HyperWar: US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 15]

 

一方、民間人や兵士の死者数は計り知れず、墓標もない。(記事をご覧ください。)

 

そしてこれから、
さらなる生き地獄が人々をのみこんでいくことになる。

 

ご覧ください。⇩

1945年 5月31日 『戦いはまだ続く』

neverforget1945.hatenablog.com