沖縄を「守るため」に沖縄人が邪魔になるという転倒

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【原文】 Men of 77th Div. pressing the fight.
【和訳】 日本軍と交戦する第77師団の兵士
撮影地: 1945年 6月 備考 糸満市与座、或いは具志頭村与座

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年6月1日 『残存兵の戦場』
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何をもって「組織的な戦闘」というのか、
であるが、

 

ある意味ではもう既に組織的な戦闘は終わっていたといってもいい。

 

okinawa1945.hatenablog.com

 

約5千人いた聯隊が約20人に減っているような状態で、ろくな装備も食料もなく南部に向かい、壕から壕へと移動しながら、

 

それまでさんざんと基地建設に住民を総動員し、学徒兵まで戦場に駆りたてているにもかかわらず、

 

非戦闘員には銃を向け、お前たちさえいなければ、スパイじゃないのか、お前たちは邪魔だ、出ていけ、となる。

 

最終的には、日本軍は身を守るために住民の間にまぎれ、住民に成りすまし、ほんとうの住民は邪魔でしかなかった。

 

追う側の米軍も、
どんどんと冷酷になっていく。

 

もう、民間人なのか、日本兵なのか、区別などつかなくなった沖縄本島南部の戦場では、

 

生きている人間は、
文字通りすべてが標的になったが、

 

それでも、
住民を追い立てる兵の言い分は

 

決まって、

この島を守っているのは兵隊だ、という号令だった。

 

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いつの時代も同じ

身勝手軍隊の定型文である。

 

ospreyfuanclub.hatenablog.com

 

ご覧ください。⇩

 

1945年 6月1日 『残存兵の戦場』

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