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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年4月28日 『米軍の部隊交替』
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今から67年前の今日
1952年4月28日、
本土は奄美や沖縄を切り捨て、
切り捨てることで独立にこぎつけた。
74年前の今日、
なんとか米軍を沖縄という生きた砦で封じ込めようとしたように、
ふたたび本土は
沖縄に米軍を押しつけた。
基本は変わらない。
その時も、今も、ずっと
本土は米軍を沖縄に押し付けている。
74年前の今日。
米軍は
前線部隊を後方へ退け、
新たに別の部隊を前線に配置した。
一方で、
前線で持久戦をしていた日本軍と、戦場にされた沖縄の住民にとっては、なんの出口もない戦いが毎日続いた。
そんな日本軍の兵士らが負傷して運ばれたのは、南風原にあった野戦病院。
前線の戦闘も過酷だったが、野戦病院の環境も酷いものだった。
南風原町の黄金森に日本軍が構築した沖縄陸軍病院壕群では、沖縄県女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校、15歳~19歳の女子生徒たちも、何の法的根拠もなく動員され、出口なき地獄へと引きずり込まれていった。
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