轟壕(とどろきごう) | たびらい 日本兵による横暴のなか600人もの住民・県庁職員が生き残った、別名「沖縄県庁最後の地」
「貴様たちは、それでも日本人か」
「泥を食ってでも生きろ」
これは73年前の6月中旬、糸満市にある「轟の壕」と呼ばれる大きな自然壕にいた日本兵が、沖縄の住民に投げつけた言葉だ。
「それでも日本人か」「反日」「土人」という言葉は、沖縄県民に対して今やSNS上で当然のように投げつけられる言葉だが、昔と何ら変わっていないことがわかる。
轟の壕は、沖縄県庁の職員と警察幹部らがいた壕の一つだったのだが、
島田知事と荒井警察部長らは、第32軍と最期を共にするため、沖縄県の全ての機能を停止して『解散』した後、轟の壕を出て行った。
その数日後、酷く冷徹な日本兵らが壕を占領し、避難民から食糧を奪い、抵抗できない幼児に銃を向け、撃ち殺した。
轟の壕には、県や警察の職員を含む500〜600人の住民が避難していた。
壕の中にいても、外に出ても、地獄という状況が続いていたのだが、
73年前のきょう、轟の壕にいた避難民たちは救出された。
救出してくれたのは、日本兵の目を盗んで壕を脱出し、勇気を出して投降した夫婦と、彼らの言い分を聞いた『鬼畜米英』だった。
住民たちは、味方だと思っていた日本軍に裏切られ、泣く子と一緒の者たちは、仲間だと思っていた同じ避難民から責められた。
そして、その状況から救ってくれたのは、敵だと教えられていた米軍だった。
これだから、沖縄戦を理解するのは難しい。
単純に「敵と味方」、「日本軍と住民」という構図で語ることができないのだ。
SNS上では、『日本軍は沖縄県民を守ろうとして戦死した』という嘘が流布しているが、
そういう嘘を信じる者たちは、マンガやアニメ、映画、小説にドラマ、そして演劇に至るまで、日本軍や兵士たちを美化したフィクションに陶酔し、
日本軍を災害支援などで活躍する自衛隊と重ね、混同している。
フィクションを信じ、歴史的資料や証言を無視する者たちだ。
彼らは、日本軍というものがどんな組織だったのか、どういう目的で活動していたのかを、全く理解していない。
何度でも言う。
大日本帝国にとって沖縄は、日本本土を防衛するための外地であり、
沖縄における日本軍の目的は、本土決戦までの時間を稼ぐことであった。
その目的を果たすためには、住民の安全など関係なかったのだ。
今日、その時、轟の壕で何が起こったのか、ご覧ください。
1945年 6月24日 『敵は米軍ではなく友軍だ』
neverforget1945.hatenablog.com
参考: 戦時性暴力についての覚書