戦闘中の戦車揚陸艦(LCT-447)に対する日本軍の特攻を写した6枚の連続写真(No.339253〜No.339258)。慶良間列島にて。撮影機材:F-56。シリーズ6枚目の写真。戦車揚陸艦(LST-447)は沈没。1945年4月6日。
Series of six pictures, numbers 339253 thru 339258, of Jap suicide attack on USS LST-447 in action at Kerama Retto, Ryukyu Islands. T-1630; Camera F-56; F.L. 20”. 6th in series. LST-447sunk. 6 April 1945.
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年 4月6日『日本海軍の総攻撃』
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
昨今の
忖度はあったのか、なかったのか、であるが。
74年前、
沖縄の戦況に天皇が「現地 軍は何故攻勢に出ぬか」(4月3日)など「多大ノ御宸念 (多大なる天子の意志・考え) を示された」ことで、
日本軍の作戦は二転三転どころか、七転八倒の状態を呈していた。
battle-of-okinawa.hatenablog.com
自らは前線に立ちもしないものたちが、
机に地図を広げて戦争を始める。
若者が特攻で死ぬことは美しいなどと美化してだます。
特攻と玉砕は大事な人たちを守るための勇敢な行為の結果だよ。美しいよ。
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) August 10, 2017
保身のために抵抗もせず逃亡するのは醜い。醜い行為を推奨する国は尊敬されない。日本人は尊敬されたいのだ。憲法前文に明記されている。 https://t.co/H4b66yZIIW
その一方で、なんの罪もない若者たちのいのちが、まるで流星のように空から大地にたたきつけられていた。
言葉にしがたいほどおぞましい構図がここにある。
ご覧ください。⇩