1945年4月7日 「どうか一億総特攻の先駆けになってもらいたい」 ~ 非論理の精神論で出撃した戦艦「大和」の最期

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『図解・太平洋戦争』後藤寿一 (著)

無謀すぎる戦艦大和海上特攻

1945年4月6日、戦艦「大和」と軽巡「矢矧」、駆逐艦8隻が沖縄に向けて徳山湾を出撃しました。その計画は沖縄周辺の米軍艦隊を撃ちまくり、最後は砂浜に乗り上げて砲台となるというものでした。これは菊水作戦による戦艦「大和」を中心とした海上特攻隊です。これは昭和天皇の御下問に示唆され、唐突に決定されたものでした。当初、艦隊を率いる伊藤整一中将以下、他の参謀や艦長等はそろって反対しました。しかし連合艦隊参謀草鹿龍之介中将は「どうか一億総特攻の先駆けになってもらいたい」と告げます。その言葉に伊藤中将と艦長、参謀たちの中で異議を唱える者は誰もいませんでした。

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年 4月7日『帝国海軍連合艦隊のさいご』
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誰が考えても、

無理無謀の机上の作戦だった。

 

誰も実行可能と信じている者などいない。

 

それでも、天皇「多大ノ御宸念」を忖度し、

 

連合艦隊参謀鹿龍之介中将「一億総特攻の先駆けになってもらいたい」という一言に、誰も反論できなかった。

 

大和撃沈70年:最後の特攻、敵機撃墜たった3機 - 毎日新聞

70年前の1945年4月7日、沖縄を目指した戦艦大和が航空攻撃を受け、九州・坊ノ岬沖で乗員2740人と共に撃沈された。上空直援のない裸艦隊の出撃は無謀でしかなかったが、メンツにこだわった海軍は「一億総特攻の先駆け」とうそぶいた。この海上特攻作戦で、巨大戦艦が撃墜したとされる敵機はわずかに3機。就役後3年半足らずの生涯のうち、世界最大の46センチ主砲が敵戦艦に火を噴くことはついになかった。国家予算の4%強の建造費をつぎ込み、大艦巨砲主義の誇大妄想が生んだリバイアサン

  

「命が削られる音がした…」沖縄水上特攻・生還者たちの証言(栗原 俊雄) | 現代ビジネス | 講談社(2/4)

 

いったい、これは何を意味するのか。

 

一億全国民が「玉砕」すれば、国民はいなくなる。国民がいなくなれば国は成立しない。

 

これは何かの比喩なのか、

 

立派に死んで国民に教示する「英霊」の見本となってくれといったわけでもない。

 

というのも、戦艦「大和」の沈没は、国民には知らさせていなかったからである。

 

知らないうちに造られて、知らないうちに沈む。敗戦後に初めて知る。

それでも日本人はまた戦艦「大和」をつくるだろう〜この国が抱える根本的な宿痾(三田紀房,戸高一成) | 現代ビジネス | 講談社(5/6)

 

4月6日からの菊水作戦に間に合わせるため、戦艦大和の出撃が提案されたのは、4月1日。

 

当時最高の資本と技術をかけた戦艦を、

 

わずか6日間でろくな兵站どころか計画もなく、あわただしく徳山港から出発させた。

 

 

最初から無理な話だった。

 

バックアップもろくにないのに「沖縄周辺の米軍艦隊を撃ちまくり、最後は砂浜に乗り上げて砲台となる」なんて、宇宙戦艦ヤマト的な夢物語でしかない。

 

4月6日午後3時、山口県の徳山港を出撃したでは「第二艦隊・第一遊撃部隊」は、

 

それから24時間もたたないうちに海の藻屑となって沈んでいく。

 

 

戦艦「大和」の戦死者は2740名、その他の艦船は戦死981名、合わせて3721名のいのちが

 

あっというまに奪われた。

 

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"Ten-Go" Operation, April 1945: Smoke rises to the clouds shortly after the Japanese battleship Yamato capsized, exploded and sank after receiving many bomb and torpedo hits from U.S. Navy carrier planes north of Okinawa, 7 April 1945. Escorting destroyers are visible to the left of the smoke.

Photographed from a USS Yorktown (CV-10) plane (Collection of Fleet Admiral Chester W. Nimitz, USN). - U.S. Naval Historical Center photograph

 

現場を知らないものたちが

忖度と意地で次々と決め事をする。

 

誰もかれもが、現実を直視して自分の頭で考えたことを声に出すことはしない。

 

間違った計画の、

忖度で始まった情況を、

 

政治家が決めたこと、止めることができないから仕方ない、と、すぐに思考停止する国民。

 

どこか間違っていると、薄々知りながらも、そこから目をそらし、目の前の金と権力に追従する国民。

 

そうして、

 

みながどこかおかしいと思いながら、絶望の死の淵まで進軍する。

 

戦艦「大和」の悲劇とは

 

まさに、
そんなブレーキ不在の大和の象徴、

そのものでもあった。

 

ご覧ください。⇩

 

1945年 4月7日『帝国海軍連合艦隊のさいご』

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