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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年 6月29日 『続く久米島の悲劇』
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74年前の今日、
久米島で9名の住民が惨殺された。
『鬼畜米英』と呼ばれる者たちに殺されたのではない。
『友軍』、つまり久米島に配置されていた日本海軍の久米島守備隊によって殺されたのだ。
6月27日に続く、この2件目の虐殺事件では、16歳の少年を含む計6名の男性と、3名の女性が犠牲となった。
銃剣で殺した後、家に火を放った。遺体は針金で縛られており、それぞれ数ヶ所に穴があいていたという。
戦後のインタヴューでは、
鹿山曹長自らがこう証言している。
当時スパイ行為に対して厳然たる措置をとらなければ、アメリカ軍にやられるより先きに、島民にやられてしまうということだったんだ。なにしろ、ワシの部下は三十何人、島民は一万人もおりましたからね、島民が向こうがわに行ってしまっては、ひとたまりもない。だから、島民の日本に対する忠誠心をゆるぎないものにするためにも、断固たる処置が必要だった。島民を掌握するために、ワシはやったのです。
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戦後も、なんの良心の呵責もない、日本軍人としての誇りを持っている、と豪語してはばからなかった鹿山曹長の言葉である。
軍には軍の「守る」という概念がある。それは我々が通常考える「守る」という概念とは違うのだということ。
こういうことは、知らなかったではすまないから、島の子らに、歴史をしっかり伝えていく必要がある。
軍隊の目的は、
島民を守るということではない。
軍隊を守るために、
島民のいのちなどは見せしめ程度でしかなかった。
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