73年前のきょう、米軍は勝連半島沖合と中城湾に浮かぶ島々の征圧に乗り出した。

 

1945年4月6日、まずは偵察のために先発隊を津堅島(つけんじま)に派遣し、

 

4月7日以降は、平安座(へんざ)、宮城(みやぎ)、伊計(いけい)、浜比嘉(はまひが)、久高(くだか)といった他の島々の偵察も開始している。

 

津堅島といえば、現在、米軍がパラシュート降下訓練を実施している訓練海域に最も近い島だ。

 

ospreyfuanclub.hatenadiary.com

 

勝連半島沖合では、モズク養殖が盛んだ。

津堅島のウェブサイト(「津堅モズクには、

 

『沖縄のモズク生産は日本一、沖縄のなかでは勝連漁協が一番、その勝連漁協の大半は津堅島産。そしてモズク養殖は世界のなかで日本だけ。だから、津堅島は世界一のモズクの生産地!』

 

とある。

 

日本のモズク生産量一位を占める沖縄県にとって、津堅島沖で実施される米軍の演習は、

 

単に「迷惑だ」という問題ではない。

 

死活問題だ。

 

漁業に携わる人たちが苦労に苦労を重ね、長い年月をかけて成長させた一大産業である。

 

1945年4月6日から、今日で73年。

何が変わって何が変わらなかったのか。

 

 

日本政府が沖縄県の空、海、土地を米軍に提供し続ける限り、

 

米軍は、これからも沖縄県の人々の暮らしに、産業に、環境に、

 

甚大なリスクを及ぼす存在であり続ける。

 

 

1945年 4月6日『日本海軍の総攻撃』

neverforget1945.hatenablog.com

 

http://www.archives.pref.okinawa.jp/USA/118024.jpg

手前は地元民の死体。中央は墓を掘る人たち。奥は捕虜収容所。(1945年4月6日撮影)

Dead Okinawan in the foreground, men digging his grave in the middle distance; civilian compound in the background.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館