1945年7月11日 戦争マラリア - 『軍官民共生共死』が島民にもたらしたもの - 利用するだけ利用して結局は棄民

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琉球朝日放送 八重山戦争マラリア犠牲者追悼式

 

沖縄の人びとは、太平洋戦争に巻き込まれた後、実に様々な経験をした。

 

『鉄の暴風』と呼ばれる空爆、艦砲射撃を経験し、地上の地獄ともいえる地上戦を経験し、愛する家族や友人を失い、財産をも失った。

 

戦闘に巻き込まれずにすんだ人たちでも、飢餓や病気で命を落とす人びとも多くいた。

 

不衛生な生活か何ヶ月も続き、満足な食事もできず、免疫力も落ちた状態の住民たちは、あちこちで感染症を患った。

 

その1つがマラリア病だ。

 

マラリアといえば、八重山地域での被害がよく知られているが、沖縄の各地でマラリア病で命を落とした人たちはいた。

 

敵に見つかるまいと自主的に山中に避難した者がマラリア病の犠牲になった場合もあれば、

 

八重山地域の島々では、軍の命令で強制的に山中に移動させられた人たちもいた。

 

八重山にいた日本軍は、住民を恐れていたようだ。

 

なぜなら、『軍官民共生共死』政策の、『共生』の部分で、住民は軍の多くのことを知りすぎていたのだ。

 

日本軍の陣地はどこなのか、どんな部隊が駐留しているのか、誰が指揮をとっているのか…などなど。

 

米軍に捕まり、それらの情報をバラされてしまったら…。

そうなる前に、住民を山奥に移動させたようだ。

 

ここでも、軍隊は住民を護ることはなかった。

 

軍隊は、軍隊を護るために住民を利用するし、不要となれば使い捨てにする。

 

宮古八重山地域に住む人たちで、南西諸島の軍拡に賛成する人たちは、いざとなれば、自分たちは軍の「使い捨て」になるのだと理解し、覚悟を持つべきである。f:id:neverforget1945:20180711234206p:plain

わするないしの教訓を私たちはわすれてしまったのではないか。

 

1945年 7月11日 『戦争マラリア』

neverforget1945.hatenablog.com

 

< 参考 >

報道ステーションから。