こどもを守るとはどういうことか

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年5月4日 『日本軍の総攻撃』
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74年前の今日、
沖縄防備軍は米軍に対して総攻撃をかけた。

「部隊は総力を結集し、各員、少なくとも米鬼一名を必殺すべし」

軍司令部が決断した5月4日の総攻撃は、
2日前には各部隊に伝えられていたが、

腐れ参謀が!

と叫びたかったのは、現場の伊東大隊長だけではなかったはずである。

この攻撃が成功する見込みは皆無。
しかしどんな動機がその総攻撃計画を推進させたのか。

自衛隊石垣島をモデルに
残存兵30%までの戦闘計画を立てている。

この「島嶼奪回作戦」なるものを、元自衛官の軍事評論家は、「損耗率7割の被害を前提とする作戦を立てるなんて、旧帝国陸軍の頭でっかちで空想的な作戦参謀ですら立案しない」と酷評したが、

むろん、

こうした住民と兵士の命を何とも思わぬ、ほとんど精神論的ともいえる戦争戦略立案は、

今も昔も
日本軍のお家芸であるということが、

74年前の今日の沖縄を見てもよくわかる。

この反撃作戦はわずか1日で失敗し、
中止される。

多くの若い特攻隊員の命が地に叩きつけられ、航空機は喪失され、海岸からの逆上陸も失敗。

第32軍の「損耗率」は、
この時点で75%を超えた。

それでも戦争は終わることなく、

いままた残存兵30%までの「島嶼奪回作戦」をどうどうと立案してくる。

時代も軍装備も変わったかもしれない。
が、思想は何も変わっていない。

これが、なんの批評的教訓もないまま皇紀の時代に酔いしれる、今の日本の現実だ。

 

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【シリーズ沖縄戦
1945年5月4日 『日本軍の総攻撃』
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今日は「こどもの日」。

終戦から約三年が経過した1948年、
こどもの日が制定された。

その趣旨は、

「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことだという。(コトバンク

73年前の昨日、
沖縄にいた日本軍は米軍に対し総攻撃をかけた。

その総攻撃は
計画自体が完全なる失敗であったが

第32軍司令官の牛島中将は、

「残存する兵力と足腰の立つ島民とをもって、最後の一人まで、そして沖縄の島の南の崖、尺寸の土地の存する限り、戦いを続ける覚悟である」

と、持久戦に徹することにした。

この牛島中将の言葉は、
日本がおこなった沖縄戦の全てを表している。

戦争は最も弱い立場にある
子供を犠牲にする。

壕の中で泣く赤ん坊を殺せと命じた日本兵
集められた戦争孤児を放置し記録もとらなかった米軍。

逆に、足腰がたてば中学生までも
動員して戦争の前線に投入した。

年寄りたちが決めた作戦で
訳がわからないまま戦場に送りだされ
死ぬのは常に若者たちだった。

今の日本でも

性的なことを極端にタブー視し、性的搾取に軍は関与していないと歴史修正主義者が声高に叫ぶ一方で、

少女たちを陳列棚のように並べ、未成年者が大人の性的対象となるビジネスが横行し、

未成年をレイプした親にすら相次いで無罪判決。性犯罪を訴えるだけ不幸になる社会とはまさにこれだ。

また技能実習生は外国の若者たちを閉じ込め、週100時間労働で月6万円という不当労働を可能にさせる。

民主主義とは何か、
権利とはなにか、

自分たちの権利は確保しながら、他者の権利が平気で収奪されているのに無関心な国を、民主主義とはいわない。

こどもの日の今日、
我々大人たちは、どのような社会をつくり、

どうすれば子供たちの人権を守ることができるのか、真剣に考える必要がある。

 


 

 

 ■ 72年前のきょう 1945年5月4日 「日本軍の総攻撃」■

もし、あなたの周りに「憲法を改正したい」という人がいて、

正式に「自衛隊」を「日本軍」にしたいと主張していたら、

その人たちに、

自ら率先して戦闘の最前線に立てるのかどうかを問うてほしい。

その答えが、「自衛隊に任せればいい」という、他人ごと的なものであれば、

自衛隊員一人一人の命を軽んじているということ。

自らができない、やりたくないことを、

なぜ、他人に押し付けることができるのか。

そうなると、構図は沖縄と同じだ。

自衛隊自衛官を支持するといいながら、本当は彼らのことを少しも考えていない。

おそらく、

自衛官は国家公務員だし、給料はガッポリ貰っている。その給料は、国民の血税から捻出しているわけだから、いざという時は命をなげうってもらう。当然だ』

という考えなのだろう。

そのような考えで、国が護れるわけがない。

もしも、自衛隊が日本軍のように「最後の一兵まで戦え!」と、命をなげうつ事態になったとき、

その時、誰が国民を護るのか。

今の憲法をかえて、自衛隊を軍隊にして新生「日本軍」にするならば、

それを支持する人たちは、戦闘の最前線に立つべきだ。