1945年 3月24日 沖縄は空からも海からも攻撃された。その一年前から日本軍の部隊が続々と沖縄入りしていたが、彼らが反撃に転ずることはなかった。

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慶良間上空を飛ぶTBF機。(1945年3月24日撮影)

TBF planes flying over Kerama Shima,Ryukyu Is.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

 

日本政府は今、南西諸島の防衛を強化するとし、

さらなる自衛隊の配備を進めている。

 

日本政府の方針を信じる者たちは、

「震災があれば自衛隊が必要になる」とか、

「中国軍の上陸を阻止してくれる」と、信じて疑わない。

 

本当にそうだろうか。

 

与那国島石垣島宮古島などに配置される(されている)自衛隊の部隊は、震災に対応できる部隊だろうか? 敵国の軍隊の上陸を阻止する装備を保有しているのだろうか?

 

ミサイル基地は島を守らない。いざとなるとミサイル基地は徹底的に攻撃される。だから、普通は住宅地には作らない。

 

先島諸島の住民は、自衛隊配備に関する説明を求めているが、日本政府から充分な説明は行われていない。

 

首長や一部の議員、住民らの「根拠のない期待や妄想」だけが先行し、部隊の任務や装備も知らぬまま、受け入れる。

 

73年前のきょう、1945年3月24日は、

前日から続く米軍の激しい空爆に加えて、艦砲射撃も始まった。

 

空からも、海からも攻撃された沖縄の人たち。

 

その約一年前から、中国にいた日本軍の部隊が続々と沖縄入りしていたが、彼らが「住民を守るため」に反撃することはなかった。

 

なぜなら、

「反撃すれば敵に居場所を知らせることになる」からで、

 

作戦としては、「敵を上陸させ、陣地の近くまで引きつけてから攻撃する」ことになっていたからだ。

 

激しい空爆と艦砲射撃に日本軍が反撃してくれると、信じて疑わなかった住民たち。

 

軍は軍の論理で動く。

ところが、日本軍に「根拠のない期待や妄想」を持ち続けたために、その後、住民はどうなっていったのか。

 

現在の我々は、沖縄戦から何を学んだのだろう。

 

沖縄戦の教訓は、生かされているだろうか。

 

 

1945年 3月24日『米軍の空爆と艦砲射撃』

あったはずの橋がなくなっていた。日本軍によって壊されていたのだ。

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