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【シリーズ沖縄戦】74年前のきょう
1945年 3月24日『米軍の空爆と艦砲射撃』
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日本政府は今、南西諸島の防衛を強化するとし、
さらなる自衛隊の配備を強行している。
信じる者たちは、
「震災があれば自衛隊が必要になる」とか、
「中国軍の上陸を阻止してくれる」と疑わない。
本当にそうだろうか。
与那国島、石垣島、宮古島などに配置される(されている)自衛隊の部隊は、震災に対応できる部隊なのか?
配備される陸自とミサイル基地は、住民を仮定する軍の上陸から守る装備を保有している部隊なのだろうか?
市民は、自衛隊配備に関する説明を求めているが、住民にほとんど充分な説明は行われていない。
住民を置き去りにしたまま「日本一ハッピーあふれるまち」作りをめざす石垣市の中山義隆市長や、一部の市議らの「根拠のない期待や妄想」だけが先行し、部隊の任務や装備も知らぬまま、受け入れる。
73年前のきょう、
1945年3月24日は、
前日から続く米軍の激しい空爆に加えて、艦砲射撃も始まった。
空からも、海からも攻撃された沖縄の人たち。
その約一年前から、中国にいた日本軍の部隊が続々と沖縄入りしていたが、
日本軍が「住民を守るため」に反撃することはなかった。
なぜなら、「反撃すれば敵に居場所を知らせることになる」からで、
日本軍は静かに、
極めて静かに静観した。
激しい空爆と艦砲射撃に日本軍が反撃してくれると、信じて疑わなかった住民たち。
「根拠のない期待や妄想」を持ち続けたために、その後、どうなっていったのか。
現在の我々は、
沖縄戦から何を学んだのだろう。
74年前のいのちの教訓は、
今の時代に生かされているだろうか。
1945年 3月24日『米軍の空爆と艦砲射撃』