■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
【シリーズ沖縄戦】75年前の今日
1945年5月3日 『戦勝前祝会』
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■75年前の今日
首里城の下にある第32軍司令部壕で
戦勝前祝会なる酒宴がひらかれた。禁欲的記録しか残さぬ八原高級参謀の手記によると、「盛装の娘たちが華やかに酒間を斡旋」したとある。
しかし、その同じ時、
制空権も制海権もなく、バックアップ部隊もない状態で「逆上陸」という突拍子もない作戦に送り込まれた約1200人の若い兵士は「ほとんど全滅」し海に沈んだ。前日の5月2日、急遽、反攻計画の連絡を受けた伊藤隊長は、この戦況下で攻勢とは、一体何を考えているのか、腐れ参謀どもが!と記しているが、
現場にとっては、おそらくこれでも
かなり控えめな本心であろう。そもそもこの作戦変更は、一ヶ月前の天皇の言葉によってもたらされたものだった。
「現地軍は何故攻撃に出ぬか、兵力足らざれば逆上陸もやってはどうか」
そこから第32軍司令部壕は二転三転どころか、七転八倒の様相で涙をハラハラと流しながら反攻計画に転じ、数日前に各現場の部隊に伝えられる。
これで成功する方がおかしい。
なぜ日本でこれほど封建的な直下型の「御言葉」構造がまかり通ってしまうのか、
「兵力足らざれば逆上陸もやってはどうか」と、天皇が語ったというが、
そもそもだが、
兵力が足らなければ、なぜ逆上陸などできようか。食べるパンがないなら、ケーキを食べたらどうか、と同じ支離滅裂な思いつきであるが、
いまだにこの国では、こうした上層部の「思いつき」レベルが、直下型で末端の国民を苦しめる。
昭和の布マスクで「不安がパッと消える」…、そんな国民を馬鹿にしきった妄想に、利権政治家が甘い汁を求めてよりあつまり、本来有効に医療現場で使われるべき予算が消失する。
どれだけこの国は権力に弱いのか。
部隊が全滅の危機に瀕しながら、
それでも司令部は「戦勝前祝会」でほろ酔い気分である。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年5月3日 『戦勝前祝会』
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □昨年
2018年3月27日、安倍総理が「日本版海兵隊」と自賛する、
陸上自衛隊の離島防衛専門部隊
水陸機動団が新設された。どうやら、
こういう作戦らしい。「島での戦闘は守るより攻める方が有利なので、侵攻されたら敵に島をいったん占領させる。その後、陸自部隊が逆上陸して武力で島を奪い返す。要は、敵に奪われることを前提とした作戦である。』
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-688856.html)奪還などと聞こえは恰好がいいが、
何のことはない、くしくもそれは、
74年前の3月27日、
慶良間に米軍が上陸した頃に
日本軍が考えていた作戦と寸分も変わりはしない。まず沖縄の島に敵を導きいれる。
生きた砦としてそこに敵を封じ込める。そのあとで背後から島を急襲奪還する
という威勢のいい精神論だ。74年前の今日、
沖縄にいた日本軍は、再び米軍に反撃するため
部隊を沖縄島の西海岸と東海岸に送りこみ、
例の「逆上陸」を試みた。沖縄戦で日本軍は、
米軍に沖縄の島々を占領させたが、その後、「逆上陸して武力で島を奪い返す」ことなど、できたのか。
日本の勇ましい島嶼奪回作戦など、
絵に描いた餅でしかなく、自衛隊は「国民保護のための輸送は、自衛隊が主担任ではなく、所要も見積もることができない」として、
作戦に住民の存在は含まれて「ない」。
それどころか、平気で「残存兵30%までの戦闘計画」をたて、元自衛官の軍事評論家からは、「損耗率7割の被害を前提とする作戦を立てるなんて、旧帝国陸軍の頭でっかちで空想的な作戦参謀ですら立案しない」と酷評された。
しかし、それこそ、
旧日本軍が74年前にやっていた戦術だった。時代も装備も変わったかもしれない。
が、中身は何も変わっていない。これが、なんの民主主義的成熟もないまま皇紀の時代に酔いしれる、今の日本の現実だった。