3月25日 慶良間の部隊は『転進』を命ぜられた - いつの時代も権力を持つ者たちは、言葉遊びする

いつの時代も権力を持つ者たちは、言葉遊びする。

 

『戦闘』と『紛争』は違うとか言って、本質を誤魔化す。

 

2月の衆院予算委員会で、稲田朋美防衛相の南スーダン国連平和維持活動(PKO)に関する一連の答弁が盛んに報道されたのは記憶に新しいだろう。

南スーダン日報問題」として知られるこの騒動では、陸上自衛隊が当初「廃棄済み」とした日報のデータが後に見つかり、一部が黒塗りで開示された。この日報には、陸上自衛隊が活動する首都ジュバで2016年7月に「戦闘が生起した」という記載がある。

これに関して野党は、PKО参加の前提となる「紛争当事者間の停戦合意」がすでに崩れているのではないか、と指摘。対して稲田防衛相は「法的な意味の『戦闘』ではなく、『武力衝突』だ」と説明した。

「武力衝突か、戦闘か」なんて、言葉遊びにすぎない!|知っておくべき「南スーダンのリアル」 | クーリエ・ジャポン

 

 

72年前もそうだった。敵に投降せずに自らの命を絶つことを『玉砕』と言ってみたり。

 

慶良間に配置されていた部隊は、『転進』を命じられた。

 

ウィキペディアで説明されている『転進』とは、以下のもの。

 

転進(てんしん)とは日本軍において使われていた言葉。自軍が不利になって敵から逃げる形へと行動を変更することを転進と呼んでいた。実質的には撤退と同じ意味であるが、敢えて嫌っていたため撤退や退却という語を使わずに転進とされていた。この言葉はガダルカナル島の戦いで日本軍が撤退した際の大本営発表で使われた言葉であり、実質は敗北であったものの、あたかもそうではなかったかのような表現のために使われていた。それ以降も日本軍は転進と表現される撤退を繰り返していった。

 

いつの時代も、言葉で誤魔化されないよう、きちんと本質を見極める力が求められる。

 

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