1945年4月26日、「前も後ろも敵だったが、途中からは日本兵の方が怖かった」

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年 4月26日 『前田高地の激闘始まる』
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前も後ろも敵だったが、途中からは日本兵の方が怖かった。 

  

軍官民共生共死。

 

これまでも述べてきたように、住民の「集団自決」は、実は「住民虐殺」とコインの裏表の関係であった。

 

住民虐殺は口封じでもあった。

 

だからこそ、消し去られたおびただしい命の記憶を、証言としてひとつひとつ掘り起こし記録することが必要である。

 

東村有銘で住民2人虐殺 日本兵、米兵を銃殺後
琉球新報 2010年6月13日 09:39

 

 沖縄戦さなかの1945年4月、東村有銘で日本兵が住民2人を殺害したとみられる虐殺事件があったことが12日、明らかになった。当時、県立第三中学校から独立混成第44旅団第2歩兵隊(国頭支隊)に動員され、撤退の途中で事件を目撃した大城晃さん(81)=西原町=が12日、名護市教育委員会が主催し、本島北部で行われた平和体験学習で証言した。大城さんが事件を公の場で発言するのは初めて。

 

 大城さんによると、45年4月26日ごろ、米軍の斥候兵3人が有銘集落に入り、日本兵と銃撃戦になった。米兵2人が銃で撃たれて死亡。米兵1人は逃げる途中、海岸沿いの避難小屋で生活していた10代半ばの中南部出身とみられる避難民の男性2人を人質に取った。


 日本兵は、2人を連れて海岸を南へ逃げる米兵を追い、泳いで沖合に回り込んで射殺。さらに、2人の避難民を山まで追って殺害したとみられる。同日、大城さんは2人の遺体が日本兵によって山から下ろされるのを目撃した。


 石原昌家沖縄国際大名誉教授は「初めて聞く事件だ。米軍上陸直後で緊迫した状況が、追いかけてまで殺した行為に表れている。日本軍で『方言を使う者は処分する』との方針が既に出ていた時期で、その流れの中で起こった事件だろう」と話した。(宮城隆尋)

 

◆遺体け飛ばす日本兵 残虐行為を批判

 

 東村有銘で日本兵による住民虐殺を証言した大城晃さん(81)=西原町=は「人質を助けるどころか、殺すとは。今でも信じられない思いだ」と事件の衝撃を振り返る。日本軍は不審に感じた住民をスパイ視する状況があり、大城さんは「避難民もスパイの嫌疑を掛けられたのかもしれない。好んで人質になるはずはない」と残虐行為を批判する。

 

 有銘に入った国頭支隊に同行していた大城さんは1945年4月26日ごろ、隣接する故郷名護市の有津(ありつ)に住む家族と面会。有銘に戻る途中、人質の避難民2人を連れた米兵に遭遇した。米兵が銃を向けたため大城さんは有津へ引き返した。その日の夕方、丘の上から有銘方面を見ると、日本兵にけ飛ばされ、山から下ろされる避難民2人の遺体を目撃した。

 

 大城さんは戦後、殺害された避難民2人と米兵3人の身元を調べるため有銘を訪れ、米兵を埋葬したという住民らから当時の状況を聞いた。米軍にも問い合わせたが、確かな情報はないという。「身元が分かれば平和の礎で花束を供えたい。遺族に会えれば彼らの最期を伝えたい」と語る。

 

 大城さんが証言した12日の平和体験学習(名護市教育委員会主催)には県立第三中学校同期で国頭支隊に所属した3人も参加。北部8高校の生徒ら約80人と伊豆味国民学校跡など国頭支隊の移動経路をたどった。

 

 東江新太郎さん(81)=名護市=は国頭支隊の部隊内で、上官の命令で兵士が殺害された事件を証言した。本部半島から多野岳へ撤退する途中、今帰仁村湧川付近のサトウキビ畑を通る際、日本兵の1人が畑に下りてキビを折った。

 

 上官が「勝手な行動は隊を危険にさらす」と激怒。キビを折った兵士をあぜ道にひざまずかせ、隣にいた兵士に銃剣で突き刺すよう命じた。腹を刺された兵士は「残念」と言って絶命した。東江さんは「軍隊の非情さを感じた。その後は皆、一言も発せなかった」と振り返った。
(宮城隆尋)

 

<用語>国頭支隊(宇土部隊)
 沖縄戦で本島北部の守備に当たった独立混成第44旅団第2歩兵隊。部隊長宇土武彦大佐以下500人。非戦闘員(民間人)を戦力化することを構想。日本軍の組織的戦闘が終わった1945年6月23日以降も北部山中で秘密戦を展開、住民スパイ視虐殺や食糧強奪を起こした。

 

大城晃さん

1929(昭和4)年生まれ

当時の本籍地、沖縄県陸軍所属独立混成第44旅団第2歩兵隊戦地八重岳・多野岳(名護市)

 

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●1942(昭和17)年4月

沖縄県立第三中学校に入学父は戦争が始まる時に安和(あわ)小学校校長だった。それ以前は転々と4箇所くらい移動していた。安和は名護の近くで電気も通って開けていたが、田舎はランプしかない自給自足の原始的な暮らし。今考えると懐かしい。魚も漁れるしサトウキビで砂糖も作る。味噌も塩も自分で作る。山には果物はいっぱいある。着るものも芭蕉布で自分で作る。藍染で。そんなに不自由はしなかった。三中は名護にあったから本部半島一体全部から生徒が集まった。寄宿舎はなく下宿でお金がかかった。

 

●1944(昭和19)年4月

沖縄県立第三中学校の3年生に進級する

 

●1944(昭和19)年7月

独立混成第44旅団第2歩兵隊が校舎を接収校舎が接収され兵舎になった。軍隊はある日、南部那覇港から隊列を組んで歩いて名護の学校に入った。

 

●1944(昭和19)年7月~1945(昭和20)年4月

中学校の校舎で無線の訓練を受ける兵隊は教室にいて、我々は柔道場と講堂で無線の訓練を受けた。いつの間にかそうなっていた。だんだん空襲が激しくなり、1944(昭和20)年初めに伊豆味(いずみ)の学校に行った。戦闘が始まるまで3ヶ月間猛特訓。

 

●1945(昭和20)年4月1日

米軍沖縄本島に上陸8日に名護に米軍がきて真っ先に戦車隊が安和小学校の校舎に侵入して来た。それを山の上から見て、早速攻撃することになった。八重岳の麓から山を越えて砲弾が落ちる曲射砲で攻撃するということで準備した。その場合、通信兵が安和小学校の見える嘉津宇(かつう)岳の頂上に登って、そこから大砲を撃った時にどこに着弾したかを見て、「もう少し前とか後ろ」とか嘉津宇岳と大砲の間を通信で指示する。自分の家が見えるので嘉津宇岳に登りたかったが、ジャンケンで負けたので同じ無線兵の相棒が登り、私は曲射砲のそばで待機した。

 

●1945(昭和20)年4月中旬(16~17日)

八重岳から多野岳へ撤退命令真部山(八重岳北側)で戦闘をやったのですが、引き上げる時に無線班はばらばらで、我々は遠回りをして八重岳に戻ってきた。我々が着いた時にはもう整列して今まさに多野岳に出発しようとしている時だった。

 

●護郷隊の切り込み

我々が多野岳に到着したその朝、護郷隊の村上隊長が50名の隊員を並べて訓示していた。どんな話をするのかと聞いていたが「これから名護に斬り込みに行く」という。我々が命からがら突破してやっとたどり着いてホッとしている時に、凄い連中がいるなと思って本当にびっくりした。この兵隊が少年兵で、彼らの顔見たら悲愴な感じで。護郷隊は勇敢。精神を徹底的に鍛え上げられて、正規の兵隊以上に優秀だと言われていた少年たち。大砲一門もなく、擲弾筒と小銃だけ。装備は貧弱だったが士気は高かった。

 

●1945(昭和20)年4月25日

夕方多野岳から撤退。26日の午前8時頃、東村の有銘(あるめ)に到着多野岳で解散ということになっていたようだが、その話は聞いてない。無線班から離れて孤立していた。4月26日に有銘の部落についた時は平和そのもの。銃声も聞こえないし、良い所に来たなとのんびりしていた。すると、アメリカの斥候が3名、有銘に入ってきた。アメリカ兵は予想以上の日本兵がいるので驚いて山に逃げ込もうとしたが、機関銃小隊が攻撃。アメリカ兵2人が死んで、最後の1人が海の方へ逃げた。南部からの避難民2人を人質に取ったが、その後アメリカ兵も殺された。近くに住むおじいさんが、3人のアメリカ兵の遺体を放置するのは忍びない、かわいそうだと言って埋葬したのを戦後知った。その優しい心は立派だと、私も沖縄人として誇りに思う。残念ながら避難民2人も亡くなった。アメリカ兵は海岸で射殺されたが、避難民2人の遺体を山の上から日本兵が転がしているところを帰りがけに見た。アメリカ兵は2人の避難民を釈放した。普通なら喜んで自分の家族のところに帰るはずだが誰にやられたのか。日本軍ではないかと思う。日本軍の目的は逃げたアメリカ兵を追うことで避難民は関係ない。僕が思うにやましい事があったのではないかと思う。言いたいのは、日本兵の中には本当に悪い人もいるし良い人もたくさんいる。そうかと言って沖縄の人はみんな良い人かというとそうでもない。(取材日:2012年2月4日)

 

www.okinawatimes.co.jp

 

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1945年 4月26日 『前田高地の激闘始まる』

neverforget1945.hatenablog.com

 

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