もずくの収穫期、眼下に漁船が航行しているにもかかわらず、それでも米軍パラシュート降下訓練 - 今年に入って四度目の津堅島訓練場水域 - 在沖米軍基地事件簿
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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年4月25日 『津堅島と北部山中の悲劇』
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沖縄を守る、
とは何を守ることなのか。
沖縄を守る、というとき、
我々は、我々の生命や暮らし、そしてそれを育む島を守ることをまず思い浮かべる。
しかし、
国や軍が「沖縄を守る」というとき、
それは我々が考えている意味とは必ずしも同じでない、ということを、我々は当然のように認識しておくべきである。
74年前、
日本軍は、米軍がいる地域にいて米軍と「会った」だけで「米軍のスパイだ」として住民を殺したり、
沖縄を守っているのは俺たちだ、といって、住民を壕から追いだしたり、食料を取りあげたりした。
そもそも軍は、4月9日の時点でも、沖縄語をもって談話するものはスパイとして「処分す」と達しをだしたが、その「処分」とは「殺す」という意味で、
軍隊にとって住民は、
ますます邪魔な存在になっていったのだが、
それでも、軍は
「沖縄を守っていた」と主張する。
つまり軍隊にとっての「沖縄」とは、
そこに住む人の生命や暮らしや大地ですらなく、
日本の領土であり、
日本の国体であった。
さて、今はどうだろうか。
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