1945年3月30日『鉄の暴風』 ~ 「わが全軍は一兵、一馬に至るまで、地下に潜み、一発一弾も応射せず」

http://www.archives.pref.okinawa.jp/USA/109-04-1.jpg

戦艦ネバダ(BB-36)の40ミリ砲。沖縄本島の上陸拠点を砲撃する様子。(1945年3月30日撮影)

40mm guns of USS NEVADA (BB-36) firing on beachhead of Okinawa in Ryukyus.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

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【シリーズ沖縄戦】76年前の今日
1945年3月30日『激化する空と海からの攻撃』
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海外のニュースでは、日本の86%の国民が、オリンピックは延期、または中止されるべきと考えていると伝えられているが、
86% (朝日調査、ロイター報道)
80% (NHK 調査、米公共放送 NPR 報道)
日本では、国民の世論などなんの意味もないと考える政治が戦前から現在に至るまで続いている。
米 NPR は、東京オリンピックの現状を「誰もが成功することはないとわかっていながらとにかく進行させた。その結果として、5万人以上の兵士が命を奪われ、その指揮官は何の責任も負わなかった」1944年のインパール作戦と変わらないと報じている。
何のやくにもたたないパレードと熱狂と税金。
今日、紹介したいのは
76年前の今日、
米軍が日本軍が構築した読谷飛行場の上空から撮影した一枚の写真だ。
日本軍は、さんざん愛国神話で国民を動員し、むしろと竹で模擬飛行機を、丸太と石で模擬砲台を作らせた。
これら一つ一つが日本の勝利として称えられるので、人々はこれらのダミーをせっせとつくらされ、米軍が記録しているダミー零戦の数々は、工芸品とするならすばらしい出来栄えで、おそらく制作するのにも相当の労力が必要だっただろうが、
それは上空からでもバレバレだった。
今日の記事にも一部載せた米軍の上陸前の作戦資料には、無線通信所や無線方向探知機の場所から小さな塹壕陣地までびっしりと事細かに場所が特定されている。
3月28日から29日の運天港秘密基地の爆撃も、あまりに正確な攻撃だったため、沖縄人がスパイをしてると軍司令部は考え始めるが、自分達の通信システムに欠陥があるとは思いもよらないのである。
この藁飛行機をみるたびに、
今も政府にせっせと藁飛行機を作らされるむなしさをかんじるのである。

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年 3月30日『激化する空と海からの攻撃』
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日が昇ってから、落ちるまでの間、

空からも、海からも、鉄の暴風が吹き荒れた。

 

米軍に制圧された慶良間諸島は、最初の沖縄の米軍水上基地となり。

  

米軍は、沖縄島に対して「一大集中砲撃」を行なった。

 

日本軍の施設と思われるものを全て破壊することで、

地上戦を優位に進め、上陸部隊の負担を減らす狙いがあった。

 

つまり、日本兵10万人の要塞と化していた沖縄本島そのものが鉄の暴風の的となる。

  

『それにつけても毎日毎日繰り返される敵グラマン機の攻撃を、私たちは不思議な現象と考えた。というのは、私たちは、学業をなげうって、徹夜作業で完成した北、中、小禄等の飛行場に待機しているであろう友軍機を心から信頼していたからだ。ーー敵機が我が物顔に郷土の上空を跳梁しているーー およそ私たちには想像もつかなければ理解もできないことだった。』(24頁)

《「鉄血勤皇隊/少年たちの沖縄戦 血であがなったもの」(大田昌秀著/那覇出版社) 24頁より》

  

その信じていた「友軍」は、ただの「一発一弾も応射せず」。

 

海を圧し、空を掩い、天も地も海も震撼せしめる古今未曾有の大攻勢に対し、これはいかに、わが全軍は一兵、一馬に至るまで、地下に潜み、一発一弾も応射せず、薄気味悪く寂然として静まり返っている。厳たる軍の作戦方針に従い、確信に満ちた反撃力を深く蔵し、戦機の熱するのを、全軍十万の将兵は、息を殺して待っているのだ。』(163-164頁)

《「沖縄決戦 高級参謀の手記」(八原博通/中公文庫) 163-164、170頁より》

 

そして、日本軍は北飛行場 (読谷) と中飛行場 (嘉手納) を自ら破壊する命令を出す。

 

米軍が空爆と艦砲射撃を始めてから一週間。

その間の砲撃も凄まじいものだったが、

 

今日、1945年 3月30日、

この「一大集中砲撃」が意味したこととは、

 

いよいよ、米軍の沖縄島上陸が目前に迫っている、ということだった。

 

 

  

ご覧ください ⇩ 

1945年 3月30日『激化する空と海からの攻撃』

neverforget1945.hatenablog.com