日本が基地を作って、米軍がそれを使う

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宮古島駐屯地「弾薬庫」設置の波紋 – QAB NEWS Headline

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年4月20日『後方で進む基地建設』
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今月4月1日に明らかにされたことは、

 

「ヘリパッドや弾薬庫の建設は一切ない」といっていた防衛省は、実際には、宮古島に弾薬庫を建設していたということだった。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

 

島民をだましだまし基地を作るやり方は、まったく今も昔も変わりない。

 

島に基地を作るとは
いったい何を意味するのか。

 

歴史は我々に現実を指し示す。

 

読谷、嘉手納、伊江島の米軍基地は、もともとは日本軍が建設した基地だった。

 

日本軍がそこに基地を建設し、それを米軍が接収し使い続けたものであるということ、

 

そして、実は、米軍は宮古島をも攻撃し占領することを計画していた。

 

宮古島にいた三万の日本兵を駆逐し、宮古島に基地を建設するためである。

 

もしかしたら宮古島伊江島と同様な状況に追い込まれていたかもしれない、その「宮古島計画」は、74年前の今日、中止される。

 

米軍が嘉手納と読谷、伊江島の飛行場整備に集中するためだった。

 

米軍は、
前線では泥沼の死闘を展開しつつ

後方では着実に基地建設を進めていった。

 

あれから74年。

気がつくと、沖縄は、米軍基地だけではない、自衛隊の基地までどんどん押し付けられている。

 

歴史の教訓は生かされているのだろうか。

 

ご覧ください。⇩

 

1945年 4月20日『後方で進む基地建設』

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