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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年4月21日『郷土沖縄を救え・郷土は自分で護れ』
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毎年、
この時期から5月初旬まで
伊江島ゆり祭りが開催される。
美しいユリとハイビスカスの島
その島で、
74年前の今日、
考えてみてほしい。
この小さな島に、
日本軍は、多くの住民を総動員して、当時「東洋一」と言われる日本軍の飛行場基地を敷設していたが、
その「東洋一」は、
島民を守るどころか
そして、
伊江島を陥落させた米軍は、
その建設のため、
邪魔となる生き残りの住民1,500人はすべて
終戦から2年後の1947年3月。
そして翌年、
帰還した住民をさらに悲劇が襲う。
1948年8月6日、
伊江島米軍弾薬輸送船爆発事故だ。
さらに、
それに伴い、
米軍は、1955年3月から射爆場の建設などのために土地の強制接収を始めた。人々が開拓した土地を奪い、住居に火を放った。
生きるための土地を奪われた人々は、7月から翌年2月にかけ、沖縄本島で土地強奪の不当性を訴え「乞食行進」を始め、1956年夏の島ぐるみ土地闘争の先駆けをつくった。
乞食行進 家・土地を奪われた伊江島の農民は、全島の人々に訴えるために「乞食行進」をはじめました。1955年7月、那覇の琉球政府前を出発し、南部の糸満、中部、北部の辺土まで歩き通しました。この行進は翌年の旧正月まで続きました。〔写真提供:阿波根昌鴻氏〕
いま、
伊江島では、
毎年この時期に「ゆり祭り」が開催され、夜にはテッポウユリのライトアップや花火の打ち上げもある。
しかし、その一方で、
米軍の占領者然とした基地運営は、住民の生活を今も脅かしている。
先日はフェンスの外に兵士が降下、それでも次の日、頭上でまたオスプレイでパラシュート降下訓練をおこなう。
基地あるがゆえの伊江島の苦しみは
いまも毎日続いている。
伊江島にF35B初飛来 米軍、飛行場の改修完了―ドローン撮影 - YouTube
2018/12/04 に公開米海兵隊岩国基地(山口県岩国市)所属のF35B最新鋭ステルス戦闘機2機が4日、米軍伊江島補助飛行場(沖縄県伊江村)上空に初めて飛来し、旋回飛行した。2016年8月からの同飛行場の改修工事が今年11月に完了し、F35Bの訓練が可能な状態になった。
ご覧ください。⇩