米軍の総攻撃と、日本軍の自爆攻撃兵 - 沖縄戦初の火炎放射装甲車を導入

【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年 4月19日『米軍の総攻撃「耕す戦法」』
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沖縄島に上陸してから19日目の朝、
4月19日午前6時。
 
米軍は一斉に攻撃を開始。空から650機の空爆、海から艦砲射撃、そして陸からも324門の火砲および戦車30輌に加え
 
この日、沖縄戦に初めて火炎放射装甲車を導入した。100メートル先までガソリンとナパームの火炎で対象物を焼き尽くすことができる装甲車だ。

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日本軍は、
このような米軍の焦土作戦を「耕す戦法」と名付けた。
 
第32軍の高級参謀だった八原大佐によると、それは、
 
『敵がその前進地域を無尽蔵に近い鉄量をもって、田畑を耕す如く掘り返し、地上一切の物の存在を許さぬ如く清掃した後、前進するから』だという。
 
もう米軍には、住民と兵士を区別することも困難になっていた。住民は女性や子供まで兵士となり、そして兵士も民間人の恰好をした。
 
沖縄の住民を巻き込んだ戦いは、
まだまだ続く。
 
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