Scenes during the invasion of Okinawa. Jap battle flags, carried by each Nip fighter until deprived of it by a marine or soldier.
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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年 6月15日 『戦利品への執着』
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沖縄は米軍の戦利品、
という表現がある。
米軍は、多くの米兵が血を流した末に手中にした「沖縄」を、執拗につきまとって、簡単には手放さないかもしれない。
こんな露骨な表現がまかり通っていたのは、戦後から十数年前まででなかろうか。
最近では、日本政府が『抑止力』という理屈を使っているために、
日本側は、『沖縄は米軍の戦利品』という概念を忘れかけているように思えるが、
米軍関係者の感覚は、今も昔も『沖縄は米軍の戦利品』と思っていることに変わりはない。
在沖米軍基地の運営そのものを見れば、米軍の戦利品意識はそこかしこに現れ出る。
74年前の今日、
沖縄にいた米軍は、
あらゆる『戦利品』を得ようとしていた。
ある米兵は、日本軍のライフル銃を戦利品として故郷に送る準備をしていた。
米兵にとって奇妙な文字が書かれた日の丸の旗は、最も人気のある戦利品の一つだったが、
今でもイーベイなどのオークションでかなりの数が取引されている。
Ron Smith - Found this on eBay.
米兵のなかには、人骨や歯、日本兵の耳や指なども『戦利品』にした者もいたという。
また米軍上層部には、上層部が考える『戦利品』があった。
彼らは、わざわざ敗残兵が潜む敵陣地壕へ部下を派遣し、自決した日本海軍司令官や参謀らの遺体の写真を撮影させた。
米軍の『戦利品』集めは、たんなる物品集めにとどまらない。
1945年6月15日。
普天間基地の滑走路建設が始まった。
沖縄本島南部では、まだ戦闘が続いているのだが、米軍は、嘉手納、読谷、伊江島の飛行場の整備を進めつつ、普天間飛行場建設にも着手した。
嘉手納飛行場や伊江島の補助飛行場は、日本軍が住民を動員して造られたものを、米軍が占領し、米軍の軍事目的のために活用され続けて今日に至る。
だが、普天間飛行場は、米軍が奪い集落を潰し、自国民の税金を投入して一から造り上げた戦利品以上の戦利品だった。
戦争とは恐怖と欲望の暴走ともいえる。
他人から奪ったものは返還するのが常識であるが、はたして彼らは傲慢と強欲とを断ち、返還に応じることができるのだろうか。