美ら海だより | 沖縄美ら海水族館 - 沖縄の美ら海を、次の世代へ。
2019年
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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年4月16日『伊江島の「六日戦争」はじまる』
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島に基地があるということは
何を意味するのだろうか。
みなさんは、
美ら海水族館を訪れたことがあるだろう。
ゲートからずっと対岸の美しい島を眺めながら歩く、
いわば、海の借景である。
近くの本部港から車で30分程度。
ユリ咲き誇る島
伊江島だ。
戦中、その伊江島に
日本軍は島民や本島北部地域の人たちを動員し
当時「東洋一」とよばれる巨大な飛行場を建設していた。
そして74年前の今日、
夜明けと共に激しい艦砲射撃が始まり
午前10時、
米軍がこの島に上陸する。
http://www.okinawa-senshi.com/ie2008.htm
沖縄戦の縮図ともいえる
伊江島における日米両軍の激しい交戦は、今日から6日間続くのだが、
文字どおり逃げ場なく
すべての老若男女が死の淵に飲みこまれ、
実に、住民の半数がいのちを奪われる。
かつて「東洋一」と呼ばれた日本軍の飛行場は
戦後は米軍の核弾頭投下訓練場となり、
今も島の35%が米軍基地だ。
ospreyfuanclub.hatenadiary.com
いま、
子どもたちと一緒に美ら海水族館を訪れれば、
おのずと伊江島にそびえる美しい城山のすがたに、
ずっと向かいあうようにして歩く。
昨年9月の知事選の際にも、
玉城デニー知事は、母の郷里であるこの伊江島城山 (タッチュー) で第一声を上げた。
#玉城デニー 候補の第一声が伊江島だったこと、 「誰一人取り残さない県政をつくる」というデニーさんの強い信念が感じられました。後ほど記事にまとめます。 #新時代沖縄 #沖縄県知事選挙
伊江島の歴史にむかいあう
そのことの意味を子どもたちに伝えてほしい。
74年前の今日、
6日間の伊江島の戦いがはじまる。
ご覧ください。
2017年
■ 72年前のきょう 1945年4月16日 「伊江島の六日戦争はじまる」■
今の世の中で、『砲弾から抜きとった火薬をつめた箱を持って身体ごと体当たり』して『自爆』した者がいたというニュースが流れたら、皆がそれは『テロ』だと思うだろう。
72年前の今日、本部半島の西に浮かぶ伊江島では、島に上陸してきた米軍に向かって爆薬が入った箱を抱えたまま突入する日本兵らがいた。
米軍は〝人間爆弾〟と呼んだ。
ただでさえ兵力が足りなかった日本軍。
だから住民を招集し、学生をも使った。
離島の伊江島では、兵力がもっと足りなかった。
そこで日本軍は、男性だけでなく、女性の住民をも兵力として使った。
その中には、乳飲み子をおぶったまま敵に向かっていった女性もいたと伝えられている。
敵を倒すため、殺すために、自爆する。
このような行為は、何もテロ事件だけではない。
これは、テロ組織集団の手口ではない。
これは、72年前に日本軍が採用していた、とてつもなく恐ろしい戦術である。
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→ 72年前の昨日 / 1945年4月15日 / 北部の学徒隊
https://www.facebook.com/ospreyfuanclub/posts/677785859077125→ 72年前の明日 / 1945年4月17日 / 馬乗り攻撃と火炎放射器
https://www.facebook.com/ospreyfuanclub/posts/678786535643724http://neverforget1945.hatenablog.com/entry/1945/…/16/000000