日本が基地を建設し、米軍がそれを使用する

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4月4日午前11時55分、名護市の大浦湾では新基地建設に反対するカヌー8艇がフロート内に入って抗議し、海上保安庁に拘束され辺野古の浜で解放されました。護岸では採石の投入が続いています。♯沖縄♯辺野古

 

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【シリーズ沖縄戦】76年前の今日
1945年 4月4日『沖縄攻略のためのインフラ整備』
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皮肉なことだが、日本政府がやっていることは結果的に76年前となんら変わっていない。 日本軍が沖縄の土地と人間を搾取し埋め重ねて沖縄に基地を建設する。それを米軍が都合よく継承・拡大し利用するという構造だ。 日本軍は、それこそ住民を総動員させて作らせた飛行場を、ほとんど使用する間もなく

… 破壊 (自壊) させ、撤退した。 飛行場が不要になれば、飛行場建設・維持にあたらせた者たちも不要になったのだろう。日本軍はその「特設第1連隊」をほとんど武器を持たない状態で前線に置き去りにした。 米軍の記録は、特設第一連隊とは名ばかりの「部隊」でその実は丸腰の沖縄の防衛隊員が多く、

日本兵とは住居も別にされ、「汚い人」(dirty people) としてひどい扱いを受けていた事、 また日本が戦後まとめた『戦史叢書』では、連隊の負傷兵は「自決」したことになっているが、実際の米軍の捕虜調書には、負傷兵の壕を手榴弾で封鎖したという生々しい証言が記録されている。(4月5日掲載予定)

日本軍は、沖縄の土地と人間を搾取しつくして沖縄に基地を作り、挙句にそれらの基地が標的になれば前線に置き去りにした。 構図が変わっていない限り、 同じことは繰り返される。

 

 

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年 4月4日『沖縄攻略のためのインフラ整備』
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皮肉なことだが、

日本政府がやっていることは結果的に
74年前となんら変わっていない。

 

日本が血眼で沖縄に基地を建設する。
それを米軍が都合よく利用するという構造だ。

 

なにしろ、

4月1日に沖縄島に上陸した米軍は
日本軍が作った読谷や嘉手納の飛行場を
その日の午前中に手中におさめ、復旧した。

 

上陸4日目の今日には既にこれらの
米軍の両飛行場が「本格的に使用」できるようになった。

 

軍車輌が通行できるよう道路整備も行ない、
いまの国道58号線となる「合衆国1号線」の標識も随所にたった。

 

飛行場から攻撃機を飛ばすため。
燃料貯蔵施設やパイプラインも整備した。

 

米軍は、沖縄に戦闘部隊だけを派遣したのではない。

 

日本が「皇軍」の精神論で維持しようとしたものを
米軍は着実に後方の建設部隊や兵站部隊で持続させた。

 

前方では戦闘を、後方では基地建設をした。
沖縄戦と基地建設は同時進行だったのだ。

 

 

  

浦添市、渋滞エリアに広々と広がる浦添市牧港補給地区 (Camp Kinser) は、当時の合衆国一号線 (国道58号) に隣接し西海岸にかけて広がり、浦添市面積の約14%を占める。沖縄戦以降、米軍の軍需物資の貯蔵や補給と配送 (ロジスティクス) の拠点となった。

「私はあなた方に島を楽しんでもらいたい」在日海兵隊広報の沖縄観光ビデオが意味するものとは

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年 4月4日『沖縄攻略のためのインフラ整備』
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皮肉なことだが、

日本政府がやっていることは結果論的に

74年前となんら変わっていない。

 

日本が血眼で沖縄に基地を建設する。

それを米軍が都合よく利用するという構造は。

 

なにしろ、

4月1日に沖縄島に上陸した米軍は

日本軍が作った読谷や嘉手納の飛行場を

その日の午前中には手中におさめ、復旧した。

 

上陸4日目の今日には既にこれらの

米軍の両飛行場が「本格的に使用」できるようになった。

 

軍車輌が通行できるよう道路整備も行ない、

いまの国道58号線となる「合衆国1号線」の標識も随所にたった。

 

飛行場から攻撃機を飛ばすため。

燃料貯蔵施設やパイプラインも整備した。

 

米軍は、沖縄に戦闘部隊だけを派遣したのではない。

 

日本が「皇軍」の精神論で維持しようとしたものを

米軍は着実に後方の建設部隊や兵站部隊で持続させた。

 

前方では戦闘を、後方では基地建設をした。

沖縄戦と基地建設は同時進行だったのだ。

 

ご覧ください。 ⇩

1945年 4月4日『沖縄攻略のためのインフラ整備』

neverforget1945.hatenablog.com