- 1945年4月28日 - 沖縄戦と米軍基地の建設
- 1952年4月28日 -『屈辱の日』
- 2013年4月28日 - 安倍内閣『主権回復の日』祝典
- 2016年4月28日 - うるま市女性殺人事件
- そして、問われる今
4月28日が「屈辱の日」と呼ばれるのは、沖縄が日本から分離されたからではない。そうではなくて、日本が今も変わらず、力づくで沖縄を利用し蹂躙し、そして切り捨て続けているからである。
1945年4月28日 - 沖縄戦と米軍基地の建設
日本軍は陣地構築に住民を最大限利用したが、いざ戦争となると住民は足手まといとして壕から追いだされ、業火のただなかに追いやられた。あるいは防衛隊として徴用され、爆弾を背負わされ、敵陣に突きだされた。陣地が構築された多くの町は住民の半数かそれ以上が犠牲となった。
1952年4月28日 -『屈辱の日』
この日、サンフランシスコ講和条約発効により、日本は奄美群島、小笠原、沖縄を米軍に差しだしたまま「独立」した。
本土が勝手に始めた戦争で、生きた砦としてさんざ捨て石にしたあげく、ふたたび切り捨て御免ということだ。
その後、沖縄は 1972年まで米軍の統治下におかれる。米国による統治ではない。占領軍による不法な統治、である。
戦場にされたすえ、米国の憲法にも、日本の憲法にも守れられない、軍による統治という非常識な現実を押しつけられた。
日本政府は、琉球住民と日本人とを「区別」した。
日本政府は52年7月、米国民政府との連絡を担う那覇日本政府南方連絡事務所(南連)を設置したが、沖縄の住民を「琉球住民」と定義し、沖縄在住で日本本土の国籍を持つ「日本人」とは区別していた。南連の沖縄政策は、「日本人」は保護の対象だが「琉球住民」は対象外としており、識者は「沖縄差別の源流ではないか」と指摘している。
2013年4月28日 - 安倍内閣『主権回復の日』祝典
ところが、この切り捨て御免はまだまだ続く。その講和条約から61年、この日を『主権回復の日』として祝うべく「閣議決定」し、勝手に決めた首相がいた。その「主権回復」には、むろん沖縄は含まれてはいない。
さらに、その4月28日の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、「天皇陛下万歳」をするのはやめようと決まっていたにもかかわらず、突発的に会場の男性が「天皇陛下万歳」と叫びだし、君が代の後に、一斉に万歳三唱がはしまった。
その後、式典が終了し退席しようとしたその時、ハプニングが起きた。突然「天皇陛下、万歳」の声がかかり、会場は「万歳」の大声の渦となった。安倍首相も壇上で万歳三唱に加わったが、上皇夫妻の表情は硬く、沈黙したまま会場を後にした。
安倍政権が機動隊員をさしむけながら沖縄に基地建設を強行しつづけているあいだ、いったいどの日本のメディアが真に沖縄によりそった報道をしていたか、安倍政権の闇深くに向き合って報道していたか。
2016年4月28日 - うるま市女性殺人事件
この日、うるま市で当時20歳の女性がジョギングに出かけたまま帰らぬ人となった。元海兵隊員で軍属だったケネス・ガドソン受刑者に惨殺され、恩納村の雑木林に遺棄されたことがわかったが、ガドソンは犯罪の証拠となるものはすべて基地内に捨てたと自供。つまり明らかに日米地位協定を利用した殺人事件であり、そこから捜査は難航する。
ガドソンが後に語ったことは、沖縄の女性たちが、米軍基地に関する限り、沖縄であるため、また女性であるということのため、二重の組織的な差別のもとで標的となっていることを暗に指し示すものであった。
日本においては、(性犯罪の被害者が被る) 文化的社会的なスティグマのため、性犯罪の報告率は低い。そのため、もしかしたら捕まるかもしれないなどということを怖れてはいなかった、と語った。
翌月、事件が発覚。うりずんの季節のやまない雨のなか、みなが涙した。しかし自民・公明の政治家は市民の安全よりも選挙と基地利権にまたたくまに取り込まれる。
沖縄の『やまない雨』、沖縄県民の『涙の雨』 - うるま市の島袋市長、その流した涙を忘れるな - Osprey Fuan Club
しかも、防衛省はうるま市女性殺害事件を利用し、それを足場にして防衛局員を高江に送り込み、高江のヘリパット建設に反対する住民を力づくで弾圧した。どれだけ冒涜すれば気が済むのか。
そして、問われる今
民主主義 (デモクラシー) と、偏狭な民族主義 (ナショナリズム) は、皮肉なことに、その体裁と見かけがとてもよく似ている。
だから、民主主義の未熟な国家において、多くの人が、偏狭な自分たちの民族主義が、あたかも民主主義であるとすっかり信じ込んで疑いもしない場合が多い。自分が踏みつけにしている相手を見ようともしない。
が、民主主義と民族主義を明白に分けるリトマス紙はある。
民主主義を、単に多数決の政治だと思い込んではいないか。
自分達が周縁においやっている人々の人権は自分たちののそれとおなじように大切にされているか。
自由な報道、つまり権力にではなく、人権と民主主義に根差す報道に価値が置かれているか。
自分の利が権利とされて、周縁に追いやっている人々のことなどは壁の向こうになっていないか。依存し搾取し足を踏みつけておきながら、ヘイトやデマで面前を殴りつけ黙らせたりはしていないか。
この国の根底にあるのは、デモクラシーの装丁をしてはいるが、根底において戦前と変わらないナショナリズムとコロニアリズムである。
翁長知事を徹底的に愚弄した菅官房長官。
沖縄では2019年2月、米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古の埋め立てを問う県民投票があり、投票した人の7割超が反対票を投じました。その直後、岩屋毅防衛相(当時)は「沖縄には沖縄の、国には国の民主主義がある」と発言し、政府は土砂投入に踏み切りました。民主主義を研究する政治学者の宇野重規さん(54)は今も続く埋め立てについて「日本の民主主義全体の信頼の根底的な低下につながった」と指摘します。
沖縄の意見を否定するのは民主主義ではない 東大教授・宇野重規さん [沖縄・本土復帰50年] [沖縄を語る、沖縄から考える]:朝日新聞
この国のみなさんが基本的な人権と民主主義を理解しないものたちを選挙で選び続けている限り、
日本にある「主権」も「民主主義」も
ハリボテでしかない。
我々はいまもクリフに立つことを強いられている。
今日は、それを再認識する日である。
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