1972年5月15日 『沖縄返還』!? ~ 届かなかった沖縄県の「建議書」、沖縄不在のまま強行採決 ~ そもそも沖縄は未だ「返還」されていない ~

1972年5月15日 『沖縄返還』は、1945年から米軍統治下にあった沖縄が日本に「返還」された日といわれています。しかし・・・

 

沖縄は返還されていますか。

 

辺戸岬にたち、

茫々たる風が吹きわたるこの地点から海の向こうにある日本の姿を見てもらいたいと思います。

 

1972年5月15日

どのように「沖縄不在」のまま

沖縄返還」が行われたのか、簡単にたどってみよう。

 

沖縄県は、沖縄抜きで日米が勝手に進める沖縄の「本土復帰」に危機感を持ち、総力を挙げて「復帰措置に関する建議書」を作成。

 

ところが屋良主席がその沖縄からの要望を国会に届ける前に、自民党衆議院の強制採決。屋良主席は、到着先のホテルで報道陣からそれを知らされる。

 

 同建議書の完成後、屋良主席は、1971年11月17日、これを持って上京しました。しかしながら、屋良主席の上京の前に沖縄返還協定は衆院返還協定特別委で自民党により強行採決されてしまいました。東京・赤坂のホテルに着いた屋良主席は、その採決を知らぬまま、報道陣から「ついさきほど返還協定が衆院沖縄返還協定特別委員会で強行採決された。コメントを」と言われました。まさに青天の霹靂でした。屋良氏は、この時のことについて、「呆然自失、なにをいってよいかわからず、コメントを断ってホテルの部屋に逃げ込んだ」(『屋良朝苗回顧録』p.212)と、回想しています。


 その後、沖縄返還協定は11月24日衆院本会議で自民党の賛成多数によって可決され、12月22日には、参院本会議でも可決されました。また、復帰関連国内法案も、通常国会で三十日、自民党の単独採決で可決、成立しました。


屋良氏は、復帰については次のように特別の思いを持っていました。「軍事占領支配からの脱却憲法で保障される日本国民としての諸権利の回復、そして沖縄県民としての自主主体性の確立これらが私たち県民にとって、全面復帰のもっている内容です。もっと簡単明瞭にいいますと、人間性の回復”を願望しているのです。きわめて当然な願望であり要求です」(『沖縄はだまっていられない』p.68)。それゆえに、11月17日の強行採決に対して屋良主席がいかに無念の思いをしたかは想像に難くありません。

 

さて、本土の議会が完全に無視した沖縄県の建議書とはどのようなものなのか、ここでもう一度、その一部分でも呼んでおきたい。

 

 「復帰措置に関する建議書」は、本土復帰に際して沖縄県の声を日本土政府と返還協定批准国会(沖縄国会)に手渡すために作成された建議書です。

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https://www.archives.pref.okinawa.jp/proposal_document

 

復帰措置に関する建議書


琉球政府は、日本政府によって進められている沖縄の復帰措置について総合的に検討し、ここに次のとおり建議いたします。

これらの内容がすべて実現されるよう強く要請いたします。

             

琉球政府 行政主席  屋 良 朝 苗

昭和四十六年十一月十八日 

 

< 中略 >

 

(二) 沖縄基地と自衛隊配備問題について

 「沖縄の中に基地があるのではなく、基地の中に沖縄がある」と言われるように、沖縄における基地のもつ比重は絶大であります。


 沖縄の総面積は、本土において小さい県にランクされる神奈川県とほぼ同じ、2,300平方キロであります。しかるに、沖縄にある基地の総面積は、約300平方キロに及び、これは沖縄全面積の12.5%、沖縄本島においては、その22.5%にあたり、日本全土にある米軍基地総面積にほぼ相当するのであります。しかも、そのうち田畑が約29%、完地が3%となっていて、県民の日常生活に直接影響を及ぼすのが、全軍用地の約32%も占めております。特に基地の集中している中部地区の六市町村(嘉手納村、読谷村、北谷村、コザ市宜野湾市浦添市)はその面積130平方キロ中、基地面積は約70平方キロ、すなわち総面積の54%に達し、さらに市町村の例をあげると嘉手納村88%読谷村79%、北谷村74%コザ市67%等であります。


 本土の米軍基地面積は、全土の0.08%にすぎないとのことであり、沖縄本島の基地の密度は、実に本土の280倍にも及ぶことになります。また、基地(施設および地域)数は沖縄が120ヶ所、本土148ヶ所あると言われていますが、本土の基地の数え方に準ずると、沖縄の基地はさらに多く、数百ヶ所にも達するようであります。さらに沖縄の米軍基地は、核兵器をはじめ、各種の近代兵器をもって装備され、いつでも広範なアジヤ各地に発進できる攻撃基地として、世界の類例のないものであり、本土にある米軍基地の数百倍に及ぶ機能をもっていると言われております。

 

 このようなぼう大な面積の土地が軍用地として接収され、また、その強大な機能の中に沖縄がおかれているために、沖縄県民の生活は、あらゆる面で極端な圧迫を受け、いびつな状態になっております。かっての肥沃な田畑も基地になって農業は破壊され、市街地の中心部分に基地があるため、都市の計画的開発と経済発展を阻害しております。

 

 そればかりでなく、いわゆる「基地公害」や米軍人軍属の犯罪、基地あるがゆえに発生する人権侵害の問題は、さらに深刻であります。空からトレーラーが落下したり、ジェット機が墜落したり、基地から流れ出た廃油によって井戸水が汚染されたいわゆる「燃える井戸」、米軍の演習等による流弾事故、米軍人軍属による頻発する交通事故による人身傷害、婦女子が殺傷、暴行されたり、また、原子力潜水艦による放射能汚染、ミサイル発射演習による漁業への影響等々、その数は枚挙にいとまがありません。

 

 したがって、沖縄県民は、県民の人権を侵害し、生活を破壊するいわば悪の根源ともいうべき基地に対して強く反対し、その撤去を要求し続け、本土へ復帰することによって、これまで県民の蒙った米軍基地によるあらゆる被害は解消されるものと期待し、それを要求してきました。かりに直ちにこの県民の要求が全面的にかなえられないにしても、基地の態様が変わって、県民の不安を大幅に軽減することを強く求めてきました。


 しかるに、この県民の当然の要求が、このたびの沖縄返還協定やこれを基本にして講じられようとしている国内措置において実現されていないことに対し、強い不満の意を表明するものであります。

 

 一方、本土政府は、沖縄への自衛隊配備を具体的に進めているようであるが、米軍基地の存在に加えて、自衛隊が配備されることは、沖縄基地の強化をはかることにほかなりません。また、米軍基地の肩代りに自衛隊が配備されるとなれば、自衛隊の沖縄配備は、海外諸国を刺激し、沖縄基地にまつわる不安は増大こそすれ軽減することはないでありましょう。さらに、県民はかっての戦争体験、戦後の米軍支配の中から、戦争につながる一切のものを否定しております。したがって、ここにあらためて自衛隊の沖縄配備に対し反対の意思を表明いたします。 

 

1.沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律案の問題点

 

(1)この法案は、沖縄における米軍基地の存続を前提とし、その確保を図ることを目的としています。この法案には、基地をなくするとか、あるいは縮小していくという方向を示すものを見出すことができません。

 

 沖縄に存する米軍基地は、米軍が占領軍としての権力と、絶対的、排他的な「施政権」によって、民主主義の原理に違反して、県民の意思を抑圧ないし無視して構築、形成されてきたものであります。そして、その基地の存在が県民の人権を侵害し、生活を圧迫し、平和を脅かし、経済の発展を阻害していることは、さきにも指摘したとおりであります。

 

 平和を希求している沖縄県民は、軍事基地に反対し、その撤去を求めているのであります。したがって軍事基地の維持、強化を図ることを目的とするこの法案には基本的には反対せざるを得ません。

 

(2)この法案は、米軍基地の維持、存続に加えて、新たに自衛隊の配備を予定し、これを可能ならしめようとすることが目的となっています。
 沖縄県民は米軍基地だけではなく、自衛隊の配備にも反対であります。自衛のための戦争といい、聖戦といわれたあの第二次世界大戦末期の沖縄戦において、沖縄県民は戦争の残酷さと悲惨さを身をもって体験し、戦後二十六年に及ぶ米軍支配の苦しい生活体験によっても、軍隊というもののもつ本質的性格をいやがうえにも知らされました。十数万の尊い生命を犠牲にした戦争体験と二十六年の長期に及ぶ米軍事支配下生活体験を経た沖縄県民にとって、自衛隊の配備を許すことはできないのであります。


 沖縄県民は、沖縄から一切の軍事基地を撤去して、沖縄を平和のメッカとすることを希求しているのであります。

 

(3)この法案の本質的問題点は、米軍基地の存続と自衛隊の配備であると考えますが、その他にも憲法土地収用法など、現行法体系との関係において、重大な問題を内包しております。

 

 その第一点は、暫定使用という名のもとに五年もの長期にわたって、土地所有者の意思如何にかかわらず、強制的に、米軍や自衛隊に、土地等の強制使用を認めていることであります。

 

 私有に属する土地等を正当な手続を得ずして五年の長期にわたり、一方的かつ強制的に使用することは、実質的に土地等の強制収用であり、如何なる理由を付したにせよ私権に対する重大な侵害であって、財産権の保障を規定している憲法第二十九条に違反するものといわなければなりません。

 

 法律上暫定使用を必要とするのは、使用の根拠となる法体系に変動がある場合に、新たな法体系による根拠を合法的に設定するまでの間に生ずる不可避的な空白期間を一時的にうめあわせる場合であるはずであります。講和発効の際の本土の米軍基地に関するこの暫定使用期間は六ヶ月であります。しかるに沖縄の土地等については、五年の長期にわたり、且つ、正当な法律上の手続きもとらず、一方的に強制使用することは、沖縄県民に対して差別を強いるものであり、法の下の平等を規定した憲法第十四条にも違反するものであります。

 

 私有に属する土地等について、強制収用、使用等が許されるのは、憲法第二十九条に規定する公共の用に供する場合のみであり、公共の用に供する事業が何であるかは、土地収用法に規定されております。ところが、自衛隊の配備は、憲法第二十九条でいう公共の用に供する場合と、土地収用法で規定する公共の利益となる事業には該当しません。したがって自衛隊の配備のために土地等を強制使用することは、その点でも憲法第二十九条に違反し、また土地収用法の趣旨にも反するものであります。

 … (中略) … 

 


 かって、米軍は講和発効後の軍用地使用の法的根拠をつくりだすために、県民の意思を無視し、一方的に布令、布告を発布して形式のみを整えてきましたが、この法案の態度は、かっての米軍のやり方と何ら異るところはないといわれてもいたしかたないでありましょう。


 以上の理由から、琉球政府としては、この法案の制定に反対し、本土政府の再考を要請するものであります。

< 以下続く・・・>

 
また、参議院では「沖縄派遣調査」が行われ、沖縄派遣団が 米軍基地の「即時・無条件、全面返還」を望む沖縄の声を国会で報告した、

 

にも関わらず、結局それらの声は、返還協定に反映されることは無かった

 

1972年。

 

この日をもって、日本は米軍にあらためて沖縄の米軍基地を「提供」した。(沖縄返還協定 A表)

 

また「基地返還」という名で、そのまま米軍基地から自衛隊基地へと移管され、沖縄県に多くの自衛隊基地の地盤が提供されていった。(沖縄返還協定 B表、C表)

 

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土砂降りの日、1972年5月15日の与儀公園、抗議集会

 

 

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米軍基地から自衛隊基地へとトコロテンのように移管された。

 

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米軍から自衛隊へ。那覇ホイール地区での1972年5月の自衛隊への移管式典。大雨のなかおこなわれた。

 

そして、いまだ沖縄の地は返還されず、

 

それどころか選挙や県民投票まで反故にされ

辺野古基地や自衛隊ミサイル基地建設まで強行されているというのに。

 

一体なにが

本土復帰、なのか。

誰にとっての「回復」というのか。

 

その時、沖縄に対して自民党政府がやったことは、いまも自民党政府がやっていることである。

 

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なぜなに米軍基地 File 1-4 辺野古に移設されれば、沖縄の基地負担は格段に軽減される??? ← そんな詭弁、信じてる人はいるのかな - わかりやすい沖縄基地問題

 

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新年あけましておめでとうございます。 ~ やんばるのねずみたちのこと ~ - Osprey Fuan Club

 

今日、この日は祝いではなく
日本の皆さんに真剣に考えてもらう日だ。

その時、沖縄に対して自民党政府がやったことは、いまも自民党政府がやっていることであるということを。  

 

 

沖縄不在の沖縄返還など

そもそもあり得るわけもない。

 

 

日本は、

 

真の意味で沖縄の地が「返還」され

沖縄県民の主権が回復したあかつきに、

 

沖縄の返還を祝うようにしたいものです。

 

 

 

全国のそして全世界の友人へ贈る、祖国復帰闘争碑

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碑文

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全国のそして全世界の友人へ贈る、祖国復帰闘争碑 - Osprey Fuan Club

祖国復帰闘争碑
全国の そして世界の友人へ贈る

 

吹き渡る風の音に 耳を傾けよ
権力に抗し 復帰をなしとげた 大衆の乾杯の声だ
打ち寄せる 波濤の響きを聞け
戦争を拒み 平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ

 

鉄の暴風やみ 平和の訪れを信じた沖縄県民は
米軍占領に引き続き 一九五二年四月二十八日
サンフランシスコ「平和」条約第三条により
屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた

 

米国支配は傲慢で 県民の自由と人権を蹂躙した
祖国日本は海の彼方に遠く 沖縄県民の声はむなしく消えた

 

われわれの闘いは 蟷螂の斧に擬せられた
しかし独立と平和を願う世界の人々との連帯であることを信じ
全国民に呼びかけ 全世界の人々に訴えた

 

見よ 平和にたたずまう宜名真の里から
二十七度線を断つ小舟は船出し
舷々合い寄り 勝利を誓う大海上大会に発展したのだ

 

今踏まれている土こそ
辺戸区民の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ

 

一九七二年五月十五日 沖縄の祖国復帰は実現した

しかし県民の平和への願いは叶えられず
日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された

 

しかるが故に この碑は
喜びを表明するためにあるのでもなく
まして勝利を記念するためにあるのでもない


闘いをふり返り 大衆が信じ合い
自らの力を確かめ合い 決意を新たにし合うためにこそあり
人類の永遠に存在し
生きとし生けるものが 自然の摂理の下に
行きながらえ得るために 警鐘を鳴らさんとしてある

 

 

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沖縄の「今」が始まった1972年5月15日 “沖縄の一番長い日”ドキュメント【WEB限定】 | 沖縄タイムス