八原博通の投降

1945年の今日


日本軍は沖縄を守ったと信じて疑わない人々が、今も受け入れたくない真実 ー 。

 

沖縄戦の作戦参謀 #八原博通 は、そもそも最初から米軍が住民を殺戮することはないと重々承知のうえで、徹底して情報操作し、沖縄県民を本土のための生きた砦として利用した。

 

そして自らは民間人を装い安全に投降する。

 

まわりの住民と部下の兵士が目を白黒させるほどの冷静さで速やかに英語で米軍と交渉し、安全に身柄を保護される。

 

学徒と兵士、ならびに住民のおびただしい生命が生死の断崖をさまよっているとき、

八原はみずらの投降を「美しい場面だ。今や敵も味方もない。人間愛に充ちた光景」だと自賛する。

 

それでいて、米軍に保護された沖縄住民が日本軍の情報操作に完全に騙され利用されていたことに気がつけば、「移り変わる人心」だの、あるいは「犬」(米軍捕虜調書) だのと非難するのである。

 

八原の回想録はそれだけを読めば几帳面で知的な八原の論理と感性に感銘を受けるかもしれない。が、…

 

… 八原の回想録を実際の沖縄戦の現実と突きあわせながら読むとき、そこに頑迷な官僚主義と、本土のために沖縄人を徹底的に「生きた砦」として利用した、非論理で冷酷な全体主義があることを知るだろう。

 

76年前とかわらず、今も日本にあるのはこれである。

 

頑迷な官僚主義と、本土のために沖縄を徹底的に「生きた砦」として利用する、非論理で冷酷な全体主義。つまり国のために沖縄が犠牲になれ、という姿勢、

 

日本の「民主主義」は、所詮「日本人ナショナリズム」のハリボテ、外装でしかないのではないか。

 

ご覧ください。

 

1945年6月26日 『作戦参謀の投降』

neverforget1945.hatenablog.com