1945年7月18日 「責任」があるなど、微塵も感じていない指導者たち - 八原博通『沖縄決戦 高級参謀の手記』

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少年の腕に包帯を巻く海兵隊の兵士 / Marines bandage an Okinawan boy's arm.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 戦争の最大の犠牲者は、何の罪もない子どもたちだ。

 

「戦争責任」とは、誰が取るものなのだろうか。

 

第32軍の高級参謀だった八原博通陸軍大佐が残した手記を読み進めていくと、戦闘を指揮した者たちは、自身に「戦争責任」があるなど、微塵も感じていないことがわる。

 

八原 博通 (やはらひろみち) (1802-1981) 第32軍の高級参謀として沖縄戦を指揮した最高幹部の一人。

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戦闘がもたらした悲劇を目にしても、住民の苦悩を聞いても、どこか他人事で、その悲劇を生んだのは、自分が下した命令によるものだということなど、全く理解していない。

 

自分が策定した持久作戦のせいで、亡くなった住民が葬られた墓地を眺めても、

 

そこで出会った1人の少年から、母親以外の家族5人を失ったという話を聞いても、

 

上から目線で、「お母さんを大切にして、しっかりやりなさい」と言う。

 

暫く屋比久の墓地で、足を止めているうち、12、3歳の愛らしい少年と一緒になった。彼の語るところによると、親子7人首里の南、繁多川に谷に避難中、父と兄弟4人は敵の艦砲弾で惨死、母は重傷、自分は軽傷、母と子2人で、転々としてあちこち逃げ回るうち、アメリカ軍に収容されて、ここに落ち着くようになった。その後、母は漸次快方に向かい、この少年は年少なので、アメリカ軍の作業に出る資格なく、市民の方の仕事に従事し、米を1日2合ずつもらい、糊口を過ごしているとのことである。真夏の陽没して、涼風すずろなる夕、かかる少年からかくも悲しい身の上話を聞いて、戦闘の惨禍、世の無常が一入身にしみる。お母さんを大切にして、しっかりやりなさい、と励まし村の入り口で別れた。』「沖縄決戦 高級参謀の手記」(八原博通/中公文庫) 475頁

 

人間であるならば、自分のせいで誰か1人でも怪我したり、命を落としてしまったら、一生悔やみ、悩み、どう責任を取り、どう償うのかを考え、苦しむものだと思う。

 

それが人間というものだ。

 

しかし戦争を推し進める者たち、戦争を先導する者たちには、そのような人間性がない。

 

ここ数十年で言えば、イラク戦争を主導した米国の大統領を始めとする権力者たちがそうだ。

 

自国の兵士を殺し、イラクの市民を殺しても、「戦争責任」を取る者はいなかった。

 

それどころか、豪邸で悠々と暮らし続けている。

 

8日朝になって非常災害対策本部設置 - 西日本豪雨のさなか、7日午前10時、たった15分間の「大雨」に関する閣僚会議、あとは「私邸」ですごす安倍総理の危機管理 - Osprey Fuan Club

例の宴会の翌朝、自分がリーダーシップを発揮すべきだが、「即座に対応するよう強いリーダーシップを発揮して対応にあたってほしい」という言葉を残して、私邸に直帰したこの国の愛国総理。対策本部の設置は、翌朝の八日である。

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だから、我々はそのような者たちに決して権力を持たせてはいけない。

 

彼らは、自分と、自分のことと、自分のもの以外には、まったく関心を持たない。

 

人間の容姿をしてはいるが、人間的な感情もなく、責任感もなく、他人の苦しみを分かっているかのように振る舞うだけの、

 

そんな「人間もどき」には、決して権力を持たせてはいけない。

 

1945年 7月18日 『八原の軍作業体験』

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