口に出せない、話すことのできない恐怖

f:id:neverforget1945:20190628150606p:plain

久米島では、昭和20年8月15日の「終戦の日」のあとも、旧日本軍が半月にわたって降伏せずに潜伏し、住民に平穏が訪れることはありませんでした。こうした中、軍や住民が、異常な行動に駆り立てられていくのを目の当たりにした男性がいます。

久米島町 久米島“戦争の異常"|戦世の証言|沖縄戦|NHK 戦争証言アーカイブス

   

□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年6月27日 『銃殺された久米島住民』
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

戦争の恐ろしさは
艦砲射撃や銃剣ばかりとは限らない。

 

74年前の今日、

米軍は、阿嘉島久米島、それぞれの島で潜伏する日本軍に降伏をせまった。

 

阿嘉島では野田少佐が交渉使節団に対して「天皇やその代理の者からの命令が無い限り、降伏はできない」と返答した。

 

一方で久米島では、

米軍は偶然遭遇した島民に、日本軍に降伏を求める勧告文を手渡すよう命じた。

 

鹿山兵曹長率いる海軍通信隊はこの男性を敵国のスパイとみなし、銃殺する。

 

その弾では即死に至らなかったため、男性は剣で突き殺され、あらかじめ掘ってあった穴に捨てられた。

 

男性の妻は、心労のあまり近くの川で入水自殺した。

 

スパイとして疑われるのは
まずもって常に住民であり弱者だった。

 

沖縄人、朝鮮人、女性、障碍者、そして子供。

 

八原高級参謀は、「狂女」であったかもしれない女がスパイとして残虐な処刑をうけ殺されていることを知りながら、助けることはしなかった。

 

八原高級参謀の回想:

『戦闘開始後間もないある日、司令部勤務のある女の子が、私の許に駆けつけて来て報告した。「今女スパイが捕えられ、皆に殺されています首里郊外で懐中電灯を持って、敵に合い図していたからだそうです。軍の命令(?)で司令部将校から女に至るまで、竹槍で一突きずつ突いています敵愾心を旺盛にするためだそうです。高級参謀殿はどうなさいますか?」私は、「うん」と言ったきりで、相手にしなかった。いやな感じがしたからである。「スパイ」事件はときどきあった。二世が潜水艦や落下傘で、沖縄島に上陸して活動しているとか、軍の電話線を切断する奴とか、そしてこの女スパイのように、火光信号をもって敵と相通じるとか。しかしこれまで真犯人はついぞ捕えられたことはなかった。

私は、ふっと、3月25日午後、首里山頂天守閣跡の広場で見た狂女らしい女を想い出していた。私はそこにあった監視哨に状況を聞くため、一人で広場に立っていた。空は曇り、かなりひどい風が吹いていた。…かなり広い広場に、たった一人の琉装の狂女が呪文を唱えながら、両手を大きく振り、天を仰ぎ、舞の仕草を続けている。あるいは狂人ではなく、沖縄破壊の一大出来と、天に祈っていたのかも知れぬ。

私は、竹槍の一突き一突きに痛い!と、か細い声をあげながら、死んでいったという女スパイが、この狂女ではなかったかと、憐れに思えてならなかった。』(210-211頁)

《「沖縄決戦 高級参謀の手記」(八原博通/中公文庫) 210-211頁より》

 

neverforget1945.hatenablog.com


また、住民をスパイと疑う、さまざまなうわさが流された。

 

スパイは「沖縄出身の妙齢の婦人で、彼らは赤いハンカチと、小型の手鏡をもっていて、陰毛をそり落としているのが特徴である」というフェイクニュースは広く信じられていた。

 

だが、軍のいるところが安全だと思って、陣地に入ってくる住民のなかに、スパイが入り込んでいるという噂が流れた。… スパイは沖縄出身の妙齢の婦人で、彼らは赤いハンカチと、小型の手鏡をもっていて、陰毛をそり落としているのが特徴である、という情報がまことしやかに流れて、私たちもそれを信じていた。… スパイをしたという住民の密告で住民の60歳くらいの老人が、狂暴化した兵隊に処刑されたのである。ついに味方が味方を殺す修羅場が現出しはじめた。』(216頁)

《「沖縄戦記 中・北部戦線 生き残り兵士の記録」(飯田邦彦/三一書房) 216頁より》

 

neverforget1945.hatenablog.com

 

これは、つまりスパイであるといったん疑われれば、その女の陰毛の状態を確認する「必要」があることを意味するだろう。

 

また、自分が疑われないためには、積極的に軍に協力することが求められた。

 

軍に協力していることを示すために、次々と「情報」を軍に提供する者たちもいれば、

 

誠実に軍に協力した者たちですら、軍のスパイリストに名をあげられ、実際に殺害されたりした。

 

battle-of-okinawa.hatenablog.com

 

戦争の恐ろしさは、
火や弾丸だけではない。

 

口に出せない、
話すことのできない恐怖を生み出す。

 

それが戦争だ。

 

久米島で、
今日、一人目の犠牲者が命を奪われた。

 

ご覧ください。⇩

1945年 6月27日 『銃殺された久米島住民』

neverforget1945.hatenablog.com