デマやヘイトの様式

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班の人々に米を配給する班長。その後ろでは別の班の家族が待っている。(1945年6月28日撮影)

Honchos rationing out rice to their people while other families wait in the background.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年6月28日 『沖縄の基地化と収容所』
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時代は変われど、
デマやヘイトの様式は変わらない。

 

沖縄が危ない、守っているんだ、反日だ、スパイだ、工作員が入り込んでいる、これらは74年も前の沖縄戦で使いつくされた言葉であるが、

 

今も同じように使われ、しかもそれらの言葉の「効能」に関して、警戒することもない。

 

ご都合デマばかりに翻弄され、

歴史から何も学ばないからである。

 

そして、むしろ戦慄するのは、自分を「普通」だと思っている「純朴」な人たちから、こんな言葉を投げかけられる時だ。

 

辺野古に基地を作らないと外国に侵略されますよね」

 

「基地のまわりに移り住んだんだって聞いてます」

 

「自分たちで勝手に基地の近くに住みついたのに、今さら騒ぐのはおかしくないですか?」

 

ところが多くの本土の人々は、普天間が膨大な在沖米軍基地の 2% でしかないこと、それがどこにあり、どのような用途に使われているのか、ほとんど知りもしないのだ。

 

本土の人たち大丈夫かな !?

 

沖縄戦を考えることを抜きにして
沖縄の米軍基地を考えることはできない。

 

当時、日本は米軍と戦争しており、

 

それらの基地は、米軍が日本本土を攻撃するための基地建設として整備され拡張しされ、何百もの爆撃機を駐機した。

 

発破をかけられ、ブルトーザーやショベルで埋められた。

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《AIによるカラー処理》普天間飛行場の建設工事の様子。手前はドリル車、後方は圧搾機。穴は発破を仕掛けるため20フィートの深さに掘られる。ブルドーザーやショベルが石灰岩を掘りやすくするためである。(1945年6月28日撮影)

During Futema airfield construction the two wagon drills are stationed in the foreground of this area, with the compressor units in the background. The holes are drilled 20 feet deep for the charge to loosen coral for shovels and bulldozers.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

爆弾を搭載した爆撃機は、それらの飛行場から飛び立ち、九州方面を攻撃し始める。

 

その米軍基地建設のため、米軍は沖縄人を続々と北部などや海外の収容所に収容した。

 

収容所が閉鎖された時、豊かで広大な土地は占領軍の基地に接収され、

 

日本が始めた戦争は、文字通りの意味で、沖縄から故郷を奪った。

 

そのことを知らずして、

 

日本本土を攻撃するために建設された米軍基地の撤去を求め続ける沖縄県民が、なぜ、本土の無知と無関心に攻撃され、選挙ともなれば圧倒的なヘイトとデマのターゲットとされるのか、

 

沖縄の基地問題は、

まさに本土の基地問題である。

 

ご覧ください。⇩

1945年 6月28日 『沖縄の基地化と収容所』

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