施設の全体地図 | 施設紹介 | 首里城 ‐ 琉球王国の栄華を物語る 世界遺産 首里城
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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年 6月2日 『破壊された琉球の文化財』
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今年2月。
首里城で新しく復元されたエリアが公開された。
みなさんはもう訪れただろうか。
しかし74年前の今日、
首里城はこのような瓦礫の山と化したすがたであった。
1945年 5月30日 『死の行進』 - 〜沖縄戦シリーズ〜
《AIによるカラー処理》シェルバーン中佐率いる先鋒の一箇大隊が膝までの泥をついて要塞化した首里城を陥れたあと、破壊された城壁の下で休む第1海兵師団(1945年5月30日撮影)
Marines of the 1st Division rest under the battered walls of Shuri castle, after a spearhead battalion under the command of Lt. Col. Charles W. Shelburne, of Kerrville, Tex., took the fortress in a push through knee-deep mud.
1945年 6月2日 『破壊された琉球の文化財』 - 〜沖縄戦シリーズ〜
首里城の城壁--瓦礫と化した首里城の城壁。その下には堀がめぐらされていた。後方に見えるのは首里の町。焼け残った樹木は城を囲んでいた森の一部である。首里城は第5海兵連隊によって攻略された。
CASTLE WALLS--Rubble of the walls of Shuri castle below which lies the moat. In background is Shuri city. The battered trees are part of a grove which surrounded the castle. The castle was taken by units of the Fifth Marine Regiment.
沖縄守備軍やら友軍や皇軍などと名乗る軍が、この首里の下に司令部壕を築き陣取ったため、
琉球王国の栄華を我々と子孫に伝えるはずの
豊かな文物と遺産はもう二度とよみがえることはない。
県民の生命を地獄の絶壁に追い込み、琉球王国時代の建造物や文化財を破壊しつくしたのは、いったい誰なのか。
テロリスト集団のISISも、多くの文化財を破壊し、そのたびに、国際社会の批判は相当なものだったが
日米両国の軍隊が、ここ沖縄で地上戦を展開し、多くの人命を奪いながら、われわれの祖先が築いてきた、守ってきた文化財や美術品をも破壊したとき、
国際社会は日米両国を批判しただろうか。
沖縄は、その苦しみと喪失の
正当な贖いを受けているといえるだろうか。
ひとつ、ひとつ。
琉球漆器や絵画や螺鈿、泡盛の麹菌
どれだけの想いで再び今のかたちとしてきたか。
ひとのものを壊したら、
弁償するのは当たり前であるが、
今の政府に、過去からの学び、沖縄への償いの想いと、「もう二度と過ちをおかさない」という決意があるかどうか。
しっかりとみなさん自身のまなこで
いまの政府を判断してほしい。
ご覧ください。⇩