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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年4月23日 『第1防衛線の崩壊』
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日本は、「緊急」として
青紙を発行し、あるいは口頭だけで
多くの沖縄の住民を
予備役兵「防衛隊」として現地召集した。
沖縄戦では、この防衛隊22000-25000人のうち、
約13000人が戦死したといわれている。
植えつけられた膨大な恐怖感と急ごしらえの武器の知識で、実質的にこうして住民と軍隊とが一体化されたのである。
74年前の今日、
伊江島の壕で「集団自決」がつづくなか、
首里では、防衛する第32軍司令部の外郭が崩壊し始めた。
米軍が沖縄本島に上陸して23日が過ぎたが、その間に米軍は、北部一帯を制圧し、
日本本土攻撃に重要な飛行場として伊江島を手に入れた。
そして、日本軍が敷いた防衛線の最も外側、第1防衛線の突破に成功したのだが、
首里を防衛する線は、第2線、第3線と敷かれている。
米軍は、それらを突破するにあたり、これから約1カ月以上もの時間を費やすことになる。