朝鮮人軍夫と沖縄戦

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「内鮮一体」というレトリックで「徴用」されていった朝鮮人軍夫の沖縄戦とは

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年8月31日 『牛馬以下にあつかわれて』
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74年前の阿嘉島で、

 

陣地構築作業の合間、日本兵班長朝鮮人軍夫たちにたずねた。「お前たちは親兄弟に無事でいることを知らせてきたのか」

 

軍夫は悲しそうな表情をして、「挑発ということで、村にいた時につかまり、いきなり軍用トラックに乗せられたので、それっきり」と語り、他の軍夫に聞いてみても同様なことを言うので、驚いたとある。

 

兵士は彼らの身の上を気の毒に思い、「それは気の毒なことを聞いてすまなかった。俺達兵隊もお前達と同じようなものだ」と慰めようとした。

 

むろん、立場もその後の状況も大きく違いすぎて、なんの慰めにもならないだろうが、この国には、植民地にした朝鮮の人たちに対し、この班長のような人間らしい当たり前の寄り添いのこころを寄せる人すら少なかった。

 

なぜなのか。

 

今の日本のメディア状況をみれば、一目瞭然であろう。

 

日本が韓国を甘やかしてきたという芸能人に、満場一致のロンドを踊る昼の御用番組。

 

徴用されたという人々がどのような状況に置かれていたか、どのように生を奪われたのか、ほとんどの人は気にも留めない。

 

関心があるのは人権ではなく
自分たちの「国益」のみ。

 

他者を反日とよび、スパイとよび、
蔑んで、白い目で見る。

 

メディアが嫌韓を煽れば煽るほど
内閣支持率は上昇する。

 

自国に有利な情報しか流さないスピン・コントロール (spin control) とは、

スピン・コントロール - マルチメディア/インターネット事典

 

  

この国を動かす意識の動力といったものは、戦後何も変わってはいない。

 

歴史の知識も足りないが、
そもそも想像力と客観的批判性に乏しい。

 

もしも、
あなたの国籍がいきなり変更され、

 

これまで話してきた言語を奪われ、
言葉のアクセントを笑われ

 

名前を違うものに変えられ、
その名を勝手に徴用の名簿にのせられ

 

わけのわからないまま
無理やり知らない土地に連れて来られ、

 

食事もろくに与えられず
牛馬以下にあつかわれ、

 

差別しておいて「内鮮一体」を押しつけ
肉体労働や危険な仕事を強いられたとしたら、

 

戦場のただなかに送られ、
異国の地で虫けらのように命を奪われ

 

そのまま遺骨もなく
何の保証も遺族年金もなく、

 

謝罪もなく。

 

ただ連れ去られたまま
死んでいった多くの朝鮮人たちの消息は、

 

日本がろくに記録をとらなかった、あるいは記録を処分したということもあるが、

 

その後の朝鮮戦争という混乱と苦しみのなかで、
さらにたどることが困難になってしまった。

 

その理不尽な扱いに、差別に、歴史に
自分なら、どう向き合うだろうか。

 

阿嘉島には日本軍が朝鮮人を処刑する処刑場があった。

 

そこで74年前、

ある朝鮮人軍夫は処刑を前にして。

 

「われわれは腹が減っていた。それなのに君たちは食料をくれなかったではないか。われわれは働くのはいい。どんなに働かされても我慢しよう。仕事なのだから。しかし、働けるだけの食料もくれずに、ただこき使ったのだ。われわれは心から君たちを恨む。腹が減っていたのだ」

 

その凄然な訴えに対し、
朝鮮人は死ぬまでメシか」と悪態をつく日本兵

 

政府の対応を見ている限り
同様な悪態をつく精神構造はいまも変わらない。

 

沖縄の島々には、
朝鮮から連行された「軍夫」たちがいた。

 

沖縄陸軍病院南風原壕20壕の天井には、今も刻まれた「姜」の文字がある。

 

ご覧ください。⇩

1945年 8月31日 『牛馬以下にあつかわれて』

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