1945年9月1日 朝鮮から「商売のためにやってきた」といわれた女たち

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【和訳】 日本軍によって連れてこられた、朝鮮人の「芸者ガールズ」。座間味島にて。
撮影地: 座間味島
撮影日: 1945年 4月 21日

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

写真 

(写真)沖縄県南風原町の沖縄守備隊第32軍津嘉山司令部壕跡などの施設から出土した「避妊具」=南風原文化センター

 

沖縄には「商売のためにやってきた」とされる朝鮮人女性たちがいた。

 

若い女性が身体一つで、言葉も通じない異国の地にやってきて「商売」をする?

 

しかも、戦争が始まろうとする地で、戦争するためにやってきた軍人を相手に?

 

そんな「常識」って、あるかいな?

 

あなたの娘が、姉妹が、ほぼ何も持たずに戦場と化す異国へ「商売しに行く」、「稼いでくる」と言って祖国を離れようとしたら、

 

あなたは、「ああそうか、では頑張っておいで」と言って見送ることができるだろうか?

 

日本国民の多くは、自分の娘や姉妹がそう言って国を離れたとしても、なんら違和感を持たず、不可解にも思わず、「商売だから」と割り切るのだろうか。

 

いや、実際にそう言っているのだから、それが日本国民の「常識」なのだろう。

 

ある記録によると、沖縄にいた朝鮮人慰安婦は600〜800人とのことだ。そんなに「商売敵」がいて本当に「稼げる」のだろうか?

 

客は約10万人いるから、それは、それは、「大儲け」になるものなのか。

 

1日に10人以上の軍人と性的行為をして、身体も心もボロボロにされて、そんな「商売」で儲けた金で、彼女たちは裕福な暮らしをしていたのか?

 

いや、違う。

 

彼女たちが連れて来られた異国の地では、空爆、艦砲射撃、砲撃、そして銃弾が飛び交う地上戦があった。

 

言葉も通じない異国の地で、女性たちは逃げ回る。

 

そんな戦場で金を儲けたところで、何になる?

 

そんな戦場から、祖国に仕送りできた「商売人」は何人いたのだろう。

 

彼女たちの多くが、祖国に帰れずに、ここ沖縄で死んだ。

 

日本国民よ。

 

もう少し、自分のことに置き換えて考えてみてくれ。


もう少し、彼女たちの声に耳を傾ける努力をしてくれ。

 

賠償したからいいだろう?

それは、違うと思う。

 

1945年 9月1日 『朝鮮から「商売」に来ている』

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