嘉数の戦い。
本格的には4月8日から16日間続けられた。今日9日だけでも、日本軍は420人の兵員を失った。米軍は326人の戦死者を出した。
嘉数高台公園をご存知だろうか?
ニュースで流れる普天間基地の映像の多くは、嘉数高台公園に設けられた展望台からのものだ。
当クラブのフォロワーの方々と嘉数高台公園に関する情報を共有しようと思い、ネットで検索してみた。
この公園は宜野湾市の管理下にあるはずなのだが、ネット検索によって見つけた宜野湾市による情報は、以下の内容だけ。
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/pageRedirect.php…
そこで、宜野湾市のホームページへ行き、宜野湾市の「観光・歴史」というメニューの「歴史」を選択してみた。
すると、なんと!
宜野湾市には、「歴史」が「ない」ことが判明した。(2018年4月9日現在)
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/…/tourisma…/02/index.html
先に見つけたページは、「市内施設所在地・電話番号一覧」(http://www.city.ginowan.okinawa.jp/benricho/908.html)の中にある「嘉数高台公園」の「地図」だと思ったのだが、
開けてみると、エラー表記となった。
全く、情けない。
嘉数高台公園は、単に宜野湾市の高台にある公園ではない。
そこは、沖縄に駐留していた日本軍が地形を利用して陣地を構築した場所であり、
首里にあった第32軍司令部を目指す米軍と激しい戦闘を交えた場所である。
73年前、日米両軍の多くの兵士が命を落とした場所だ。
嘉数高地の戦場で負傷した日本兵の処置を任されたのは、後方の野戦病院にいた従軍医師や看護師たちであり、搬送や看護を任されたのは、学徒隊にいた学生たちであった。
そして、米軍が嘉数高地を占領した時、そこに布陣していた日本軍の部隊は、ほぼ全滅したのである。
宜野湾市は、そういう「歴史」を消したのか?
現在の宜野湾市長は、「保守」思想が強く、安倍政権の応援団であり、日本会議のメンバー。
そんな、今どきの「保守」の傾向はというと、
戦艦大和や特攻機に乗っていた太平洋戦争当時の日本兵を英雄視したり、
在日米軍の駐留を歓迎、賞賛するというものだ。
しまいには、米兵による善行を作り上げて拡散したことも記憶に新しい。
宜野湾市の佐喜真市長を含む、今どきの「保守」は、
沖縄各地の戦場で死んだ日米両軍の兵士たちや、
武力と武力の衝突に巻き込まれて命を落とした多くの民間人、
「軍民共生共死」を真面目に遂行した人たち、
そして、強制的に防衛隊員や軍夫にされた者たちの存在と、
その歴史を軽んじる傾向がある。
現在の宜野湾市ウェブサイトが、その象徴だ。
沖縄戦を語り継ぐにあたり、右も、左も、国籍も、関係ない。
全く、情けない。
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73年前のきのう: 1945年4月8日
https://www.facebook.com/ospreyfuanclub/posts/848032118719164