1945年 3月26日 米軍、慶良間列島に上陸 ~ 住民を巻き込んだ地上戦の始まり

 

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高月山展望台から古座間味ビーチ、阿護の浦湾を一望する。慶良間海峡の海の美しさに圧倒される、沖縄県でも屈指の景勝地だ。この景勝の台地が壮絶な戦争の舞台となり、多くの命が失われた場所であることは、今では想像が難しい。

巡る戦跡「座間味島」| 沖縄ツーリスト

 

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日

1945年 3月26日『米軍、慶良間列島に上陸』

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Kerama 慶良間諸島と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。

 

どこまでも青く透明度の高い海。

多様な珊瑚の生態系が広がり、光輝く魚が泳ぎ舞う。冬にはザトウクジラが繁殖のためにやってくる。

 

ダイビングの聖地とまで言われるようになった慶良間諸島は、2014年 3月5日 (サンゴの日) に、日本の国立公園として指定された。

 

今や、「美ら海」として国内外から注目される慶良間諸島だが、

 

1945年のその時、

 

大日本帝国と戦っていた米軍は、10万人の日本兵によって要塞化された沖縄島を攻略するため、

 

まず慶良間諸島を米軍の水上機基地と艦隊の投錨地となす戦略をたてた。

 

一方で、日本軍は、前年 1944年9月から海の特攻隊「陸軍海上挺進戦隊」マルレを座間味島阿嘉島慶留間島渡嘉敷島に配備、

 

その建設には大勢の朝鮮人軍夫も島民も使役させられたのに、

 

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いざその時となると、

 

米軍の襲撃に慌てた日本軍は、前日にほとんどのマルレを自ら破壊し、数百人の日本兵朝鮮人軍夫をおいて、すべて本島へと「転進」していった。

 

そうして、

 

74年前の今日、早朝から、

慶良間の島々に米軍がぞくぞくと上陸し始めた。

 

逃げ場のない島民が、

そのときどんな状況に追い詰められていったのか。

 

75年前の今日。

 

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高月山中腹に建立された慰霊のための平和の塔。座間味島での戦没者、島民軍人あわせ1200名余が祀られている。塔を囲むかたちで祈念碑が建てられ、戦没者の名前が刻まれている。

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