我々は、今日も、明日も、明後日も、沖縄戦と向き合う必要がある

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【原文】 Two young Jap soldiers being compared to a full grown Korean which is three times the size of them. The first Jap is 17 years old, the 2nd is 19 years old, and the giant Korean is 28 years old. Okinawa.

【和訳】 朝鮮の成人男子と比較される二人の日本兵朝鮮人は日本人の3倍の体格をしている。左から17歳、19歳、28歳。沖縄。〔左の二人はおそらく中学生の鉄血勤皇隊か。〕

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年6月13日 『2人の少年の冒険』
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昨年の昨日、
2018年6月12日、
 
日本の防衛省は、普天間基地の返還を求めた大田昌秀沖縄県知事の一周忌にあわせたかのように、
 
沖縄県に対し、代替基地建設に必要な埋め立て工事のための土砂投入日を伝えてきた。
 
病をおして国が強行する辺野古埋め立てに抵抗してきた翁長知事に、安倍政権は容赦なく鞭をふりつづけた。そのことも我々はしっかりと記憶しておくべきである。
 
 名護市辺野古の新基地建設を巡り、沖縄防衛局は12日、海域の一部を埋め立てる土砂を8月17日から投入する方針を決め、沖縄県に通知した。防衛局が同日提出した県赤土等流出防止条例に基づく通知書に事業内容や着手時期を明記した。投入により、県民の多くが反対する新基地建設問題は大きな節目を迎える。県の反発は必至で、埋め立て承認撤回の意向を明言しいる翁長雄志知事の判断時期が焦点となる。
 
日本政府の「沖縄県民に寄り添う」とは、
こういうものだ。
 
その一年後はこれである。
 
そもそも
なぜ、沖縄に米軍基地があるのか。
 
その答えを見つけるためには、
沖縄戦を学ぶ必要があり、
 
琉球/沖縄が歩んだ道のりを辿る必要がある。
 
沖縄戦とは、一体なんだったのか。
我々は、そこから何を学び、何を認識するのか。
 
沖縄戦という「この世の地獄」で、炎にのみこまれ、命をおとした人々の声なき声に耳を傾け、
 
さらには、地獄を生き延びた人たちの言葉を受けとめることで、現代を生きる我々は多くを学ぶことができる。
 
しかし、その後、『戦争は絶対にダメだ』とか、『平和な世の中が続きますように』などと、念仏のように唱えて終わるだけでは、
 
実は沖縄戦を理解したとは言えない。
 
沖縄戦を知っているつもりで、反戦平和や米軍基地撤去の祈りを唱えても、その声は概して政治の「現場」には届かない。
 
そしてそれが、沖縄に未だに多くの米軍基地がある理由の一つと言える。
 
多くの県民を苦しめるのは、沖縄の基地問題に対する本土と本土メディアの圧倒的な無関心であり、それは護憲派SNS グループやリベラル派の SNS グループでも同様である。沖縄の基地問題を投稿しても、ほとんど目立った反応もなく、一定以上の関心を持たれることがない。普天間の県外移設論に対しては、リベラル派から鬼のような批判と中傷が寄せられるほどである。
 
 
沖縄戦は、74年前の昨日も一昨日も、明日も明後日も、続いていた。
 
沖縄全域における継続的な空爆や艦砲射撃が始まった1945年3月23日から、日本国が公式に降伏した調印式の1945年9月7日まで、
 
沖縄には確かに「この世の地獄」が存在していた。ここで、毎日毎日、大勢の命が轢きつぶされていったのだ。
 
沖縄では、毎日が「慰霊の日」に値するが、
 
ではなぜ、沖縄が戦場になったのか。
  
数時間で終わる平和学習において、数人の戦争体験者や語り部の方々の話だけを聞いただけでは、沖縄戦を知ることはできない。
 
だから我々は、沖縄戦があった日々を追体験する、というプロジェクト【シリーズ沖縄戦】を始めた。
 
 
故・大田昌秀氏の想いを、皆さんとともに、一人でも多くのひとたちとともに共有し、
 
戦争の「この世の地獄」がどんなものだったのかを、毎日、毎日、追体験し、理解して、引き継いでいくためだ。
 
そのためには、右も左も関係ない。
日々の追体験に思想やイデオロギーは関係ない。
 
ただ、誰しもが「この世の地獄」がどういうものだったのかを、きちんと知ることから始める必要がある。
 
この「沖縄戦シリーズ」は、大田氏が琉球新報に連載し、のちに出版された「写真記録・これが沖縄戦だ」を基盤にしているのだが、
 
大田氏は、前書きで次のように述べている。
 
 
本書は、いわゆる沖縄戦の一般的戦記でもなければ、単なる写真集でもない。当初から企図したのは、体系的な沖縄戦とそれを裏付ける具体的な記録写真の組み合わせからなる一冊をつくることであった。
 
その点、従来の類似本に例の少ないユニークさをもっていると自負できそうである。
 
私は、つつしんで本書を20万余名におよぶ沖縄戦戦没者の御霊に捧げるとともに、本書に収録された一枚一枚の写真を通して一人でも多くの読者が沖縄戦の実態にふれて戦争世代の体験を的確に追認してほしいと切望せざるをえない。

と同時に基地のない平和な沖縄を創りだすべく相共に手を取り合ってゆかれることを祈念してやまない。1977年9月7日
 
 
大田氏は、『一人でも多くの読者が沖縄戦の実態にふれて戦争世代の体験を的確に追認してほしい』と述べている。
 
戦争は、複雑極まりないものだ。
 
日本軍には日本軍の、米軍には米軍の、住民には住民の理屈や常識があり、
 
その中で、敵だと思っていた者に助けられたり、味方だと思っていた者に裏切られたりした。
 
虎の威を借る狐のごとく、軍人気取りで戦闘に協力した住民もいれば、
 
生きることを選ぼうと、必死で投降を説得する住民もいた。
 
「敵と味方」、「勝者と敗者」、「加害者と被害者」、「親日反日」などと単純化できるものではなかった。
 
自らを「軍国少年だった」と公の場で認めていた大田昌秀氏は、少年時代の考えが「間違っていた」と気づき、深く自省し、「なぜこういう事態に陥ったのか。もし生き延びることができたら、明らかにしたい」と深く心に刻んだ。そして一生を沖縄の平和な未来のために捧げた。
 
我々も、我々や、我々の父母、祖父母が、戦前・戦後に選択した道は、正しかったのか、幾度も幾度も自省すべきだろう。
 
琉球・沖縄が歩まされてきた道、
あるいは、自らが選択したその道のりの、
 
一歩一歩に関し、
深く考え、学び、反省すべきは反省する。
 
それを端折り、「反戦平和」だの、「米軍基地撤去」だのを、と唱えるだけでは、実は何も変わらない。  
 
口先だけの「平和」でなく、そして、なぜ未だに多くの米軍基地が沖縄にあるのか、という答えを見つけるためにも、
 
そしてなによりも、今、なにを選び、どう生きるべきか、明日の子らの未来のために何ができるのかを知るために、
 
我々は、
今日も、明日も、明後日も、
 
沖縄戦と向き合う必要がある。

 

 

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1945年 6月13日 『2人の少年の冒険』

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