米軍侵攻後、慶留間島(慶良間諸島)の丘陵地帯に展開する第77師団第306歩兵連隊第1大隊の兵士ら。爆破された日本人の民家でのんびりしているところ。
Members of 306 Inf., 1st Bat. 77 Div. in the hills on Geruma Shima in Keramas after its invasion by US forces. Taking it easy in a blasted Jap home.
きょう、米軍は慶良間列島に上陸しました。
米軍は圧倒的な兵数で、大量の物資を持って沖縄戦に挑んだのです。
どこかの平和ボケしたハッピーなカルト集団が作った動画を観たネトウヨが考える「離島上陸」ではなかったのです。
72年前の今日、様々なことがあった。敵が上陸したのだから、そりゃ色々ありました。それを読むには、かなりの時間を要するかと思うのですが、それでも、読んでいただきたい!72年前の新聞だと思って読んでほしい ‼︎
そうすれば、「あれっ?なんだか今の社会状況、政治体質と重なるよね、似てるよね」と、気づくはずです。
今と重なることとして思い浮かぶのは、現在進行形の以下のような事柄。
① 日報問題
南スーダンにPKO参加する現地の自衛隊が作成した「日報」を、東京の安全な社会で暮らす日本政府の人間たちが「都合のいいように解釈」していること。
72年前の今日、特攻攻撃であげたとされる「戦果」は、本当だったのか、それとも、事実に色々「盛った」ものなのか。
今の世の中、「ポスト・トゥルース」という言葉が生まれて、それが横行しているけど、72年前もそうだったのかもしれない。
② 離島自衛隊配備問題
沖縄県の島々に派遣、配置される自衛隊の任務は一体どのようなものか、どのような訓練を受けた自衛隊員が派遣されるのか、どんな装備品を持ってくるのか・・など、誰もきちんと説明しないが、「国防のため」とか「有事の際には住民を守る」など、アピールはじゃんじゃんやる。フタを開けたら、住民が考えていたようなものじゃなかった・・という事になりかねない。
72年前に慶良間列島で起きたことを知れば、権力者の口車に乗せられてはいけないとわかるはず。
慶留間島、くららさんのお爺さんは問う。
— 沖縄戦シリーズ (@ospreyfuanclub2) 2018年3月25日
米軍の攻撃が始まったら、日本兵の姿は見えず、いつの間にか住民に何も告げずにいなくなってしまったのだ。
せめて一言、軍人としてではなく、同じ人間として
「今、死んではだめだ」と言ってくれてさえいたら。
https://t.co/QFp1cuvQdu
③ ソンタク・ジャパン
→ 森友学園の問題で、「忖度」という言葉が出てきた。「忖度」とは、人の気持ちを思いはかること。そして、権力者の気持ちを「忖度」した結果、そんな指示などしていない!ということに・・。「おまえが勝手にやった」のだろうと言われ始める。
でも、人が権力者の気持ちや意図を忖度するのは日本ならではのようで、記者会見で外国人記者らに対し「忖度」を直訳することができず、通訳者らが「忖度」の意味を説明しないといけないという場面があった。72年前の今日も、そういうことが、あたり前のようにあったと思う。
④ イメージと精神論で戦争を考える日本
米軍は戦争に勝つために、目の前の状況を詳細に調査したり、人々の慣習や歴史まで勉強した。そして、様々な戦法を駆使した。
でも日本軍は、「思い込み」と「上からの指示」だけで動いていた。それも、上の気持ちを忖度しながら動いていた場面も多々あったように思う。
これを読んで、今と重なる部分を考えてほしい。