3月22日 第32軍(沖縄守備軍)の創設 - 「沖縄守備軍」が沖縄入りした後、県民は守備されるどころか、どんどん追われ失われていった

いま、先島諸島自衛隊配備が問題となっている。

 

自衛隊面積は復帰後4倍に 沖縄、先島諸島で新設の動き加速

琉球新報 

2017年5月14日 07:30

沖縄では1972年の復帰を境に、それまで配備されていなかった自衛隊が駐屯するようになった。記録に残っている1972年5月時点では施設数3、施設面積は166・1ヘクタールだったが、2016年3月時点では施設数41、施設面積は694・4ヘクタールとなり、面積は4倍に拡大した。隊員数も増加傾向にあり、特に防衛省旧ソ連を念頭に置いていた「北方重視」戦略から、北朝鮮や中国を重視した「南西シフト」に転換して以降、沖縄での自衛隊基地の機能強化が一層鮮明になっている。

 陸上自衛隊那覇基地は10年3月にそれまでの混成団から旅団に格上げされ、隊員も1800人から2100に増員した。航空自衛隊那覇基地でも09年に、従来使用していた戦闘機をF4からより機動性の高いF15に切り替え、さらに16年には20機を追加し、計40機体制へと強化した。

 さらに近年では、先島での自衛隊基地新設が加速している。16年3月、先島で初となる陸上自衛隊の基地が与那国島にできた。レーダーによる沿岸監視活動を主任務とする「沿岸監視部隊」の約160人が常駐する。

 今後は宮古島でも、有事の際に初動を担う警備部隊とミサイル運用を担う部隊など計700~800人規模の陸上自衛隊が配備される計画があるほか、石垣島にも500~600人規模の新基地が建設される計画がある。

 県内米軍基地での自衛隊による共同使用も重ねられており、沖縄が日米双方の防衛力強化の拠点とされつつある。 

 

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先島に自衛隊を配備したがる日本政府の本当の狙いはなんなのか。

 

現代の「南西諸島の防衛」が意味することとは?

 

73年前のきょう、

1944年3月22日

大本営は第32軍 (沖縄守備軍) を創設した。

 

その1年後

1945年3月23日

今から72年前の明日、米軍は、沖縄上陸前の爆撃を沖縄全域で開始、その数日後に米軍は、慶良間列島へ上陸した。

 

そこから沖縄戦は本格的に始まったのである。

 

なぜ、大本営は第32軍(沖縄守備軍)を創設したのか。

 

沖縄県民斯ク戦ヘリ 大田實海軍中将一家の昭和史 」(田村洋三/光人社NF文庫)によると、1944年2月17、18日に『絶対国防圏の要の一角であり、連合艦隊の拠点である内南洋のトラック環礁が突如、米機動部隊の砲撃に曝され』大日本帝国の艦船40余隻が沈没、飛行機270機が損害を受けたことで大本営の中に、この分では遠からずマリアナカロリン諸島が襲われ、奄美、沖縄など南西諸島まで侵攻して来るのでは・・・との懸念が生まれた』(308頁)ことにある。

 

その後、各方面に配置されていた日本軍の部隊が続々と沖縄入りし、市町村を占拠するようになる。「証言 沖縄「集団自決」ー慶良間諸島で何が起きたか」(謝花直美 / 岩波新書)によると、

 

『それまでは連隊区司令部と中城湾、西表島の要塞しか軍組織がなかった沖縄で、次々に配備される部隊に、県民は驚きつつも受け入れに追われた。』(5頁)

 

ということだ。

 

当時の人口が40余万であった沖縄県に投入された日本兵は約10万人。軍隊が配備されたことで、食糧や物資も不足し始める。

 

そして約3ヵ月が過ぎた1944年の7月7日、沖縄県民は政府から疎開を命じられる。

 

同年8月には、疎開対馬丸が米軍の攻撃を受け沈没、

 

10月には那覇を中心に大規模な空襲を受けた沖縄県は、多くの死傷者を出した。

 

第32軍が創設され、「沖縄守備軍」と呼ばれた日本兵が沖縄入りしたあとは、沖縄県民の命は守られるどころか、どんどん失われていったのだ。

 

 

第32軍が創設されてから約10ヵ月後

 

1945年1月20日

大本営は「帝国陸海軍作戦計画大綱」をまとめた。

 

『大綱では「皇土防衛のための縦深作戦遂行上の前縁は南千島小笠原諸島沖縄本島以南の南西諸島、台湾及び上海付近とし之を確保す。右前縁地帯の一部に於いて状況真に止むを得ず敵の上陸を見る場合に於いても極力敵の出血消耗を図り且つ敵航空基盤造成を妨害す」とされ、沖縄での作戦は、本土防衛のために敵の出血消耗を図るという位置付けだった。つまり、本土決戦の準備のために一日でも時間を稼ぐ「持久戦」が求められたのだ。』(「NHKスペシャル 沖縄戦全記録」NHKスペシャル取材班/新日本出版社 48頁) 

 

先の大戦で言われた「南西諸島の防衛」とは、南西諸島に住む住民を敵国の攻撃から守るためではなかった。

 

昭和天皇がいた『皇土』を守るには、まずは南西諸島がその盾となる。すなわち、皇土である「日本本土を防衛する」という意味だ。

 

第32軍は「沖縄守備軍」とも呼ばれている。

 

しかし、沖縄守備軍の任務は「沖縄に住む日本国民の守備」ではなく、皇土防衛のために、外地の「沖縄で守備を任された軍」であった。

 

敗戦から70年以上の月日が流れたいま、日本政府は『南西方面の自衛隊の空白地帯は、解消しなければならない』として南西諸島への自衛隊配備や自衛隊による「離島奪還」訓練を積極的に進めている。

 

先島に自衛隊を配備したがる日本政府の本当の狙いはなんなのか。

 

現代の「南西諸島の防衛」が意味することとは?

 

いま、日本国民の一人一人が考え、日本政府に質問しなければ、いつか来た道を辿ることになりかねない。

 

悲惨な歴史を繰り返してはいけない。

 

過ちを繰り返さないためにも、歴史を学び、継承し、権力者らの暴走を止めなければならない。

 

オスプレイ不安クラブでは、明日(3月23日)から9月7日までの間、沖縄戦に関する内容の投稿をします。ぜひ、ご一読下さい。

 

「南西諸島防衛 自衛隊配備に揺れる国境の島」(時論公論) | 時論公論 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス

海を挟んで、中国や台湾と境を接する日本の西端=沖縄の石垣島与那国島などの南西諸島では、自衛隊の部隊配備の計画が進んでいます。背景には、軍備を拡張し、海洋進出を強める中国の動きがあります。一方で、配備の対象となる地元からは、住民の不安の声も聞かれます。今夜は、国の安全保障と住民理解の狭間で揺れる自治体の姿を通して、南西諸島防衛の課題について考えます。

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解説のポイントです。

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まず、政府が南西諸島防衛を強化する背景、中国の海洋進出の現状についてみていきます。その上で、自衛隊配備の動きが出ている島々の実情をみていきます。そして最後に、国の安全保障と、実際に自衛隊を受け入れ、支える自治体との関係について、考えます。

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南西諸島では、近年、中国軍の艦艇や軍用機が沖縄の先島諸島を通過して、東シナ海と太平洋の間を行き来したり、中国が、沖縄県尖閣諸島を含む東シナ海の広い範囲に防空識別圏を設定するなど、海洋進出を強めています。尖閣諸島周辺では、去年の夏以降、中国の公船による日本の領海への侵入が常態化しつつあります。
また、自衛隊機のスクランブル緊急発進は、去年4月から先月までの9か月間で883回にのぼり、このうち中国機への対応は644回、前の年の同じ時期に比べて271回、73%も増えています。先月25日には、中国軍で初めての空母「遼寧」が、沖縄本島宮古島の間の海峡を通過。初めて太平洋を航行しました。

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こうした中国の動きに対し、政府は、海上保安庁の警備態勢の拡充に着手しました。尖閣諸島を行政区域に持つ石垣市。政府は去年、石垣島にある海上保安部に「尖閣専従班」を設置しました。それまでの巡視船2隻の態勢から、新型の巡視船10隻を投入して、一気に12隻態勢に拡充。石垣海上保安部は、全国最大規模のおよそ700人となりました。石垣海上保安部長は、「冷静かつ毅然として、領土領海、国家の主権を守りたい」と語ります。ただ、政府内では、中国が軍備の拡張を続ける中で、本来、警察行動を任務とする海上保安庁の対応では、限界があるという声も聞かれます。

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このため、現在、政府が積極的に進めているのが、南西諸島への陸上自衛隊の部隊配備です。南西地域には、およそ千の島々がありますが、こうした島々への侵攻があった場合には、奪回のため、陸上部隊を機動的に展開させる必要があるという考えが背景にあります。自衛隊は、▽去年3月、日本最西端にあたる与那国島に、付近の船舶や航空機を監視する、160人の沿岸監視部隊を発足させました。また▽宮古島に、2年後をめどに、地対艦ミサイル部隊を含む700人から800人規模の部隊を配備します。さらに▽石垣島にも、500人から600人規模の地対艦ミサイル部隊を新たに配備する方針で、地元との調整を進めています。

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このうち、与那国島石垣島を、先月、私も訪ねました。
与那国島にある駐屯地は、オレンジ色の琉球瓦をあしらったデザインが印象的な建物群です。部隊長は、「統率方針は『地域のために、地域とともに』です」と話していました。与那国島では、部隊の発足に伴い、隊員と家族が移住し、人口がおよそ1500人から1700人余りに増えました。過疎化に悩む与那国町自衛隊の誘致を進めた今の町長によりますと、小学校の複式学級も解消され、税収も増えたと言います。隊員は、地域の歴史や慣習を学び、行事にも積極的に参加するなど、島に溶け込もうと努力しているようです。

その一方で、受け入れに反対してきた地元の議員は、「町では、迷彩服の隊員が目立ち、住民の15%が自衛隊員とその家族になった。地域は分断され、冠婚葬祭でも、住民は『賛成派』と『反対派』に分かれて座るようになった。地域の将来は見えず、このままでは、基地だけの島になってしまう」と話していました。

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尖閣諸島を行政区域に抱える石垣市自衛隊の配備計画が浮上して以来、賛成派と反対派の住民の論争が続いています。賛成派は「中国の挑発がエスカレートする中、防衛力の空白を作ってはならず、抑止力が必要だ」と主張します。反対派は「中国を刺激して、逆効果だ。有事の際に標的にされるのではないか」と反論します。元防衛官僚で官房副長官補を務めた柳沢協二氏は、先月、石垣市で講演し、「最前線に地対艦ミサイルのようなパワーがあれば、相手を拒否する力にはなる。ただ、相手側に本当に戦争をする意思があれば、最初にここが攻撃されるだろう。その覚悟があるのか」と語っていました。

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こうした中、石垣市の中山義隆市長は、年末に記者会見し、「安全保障環境が厳しさを増す現状において、南西諸島の防衛体制の充実は極めて重要だ」と、部隊の受け入れを表明しました。
しかしこれで収まるどころか、反対派はむしろ、反発を強めています。今年に入り、駐屯地の候補地に近い地区の代表は、市長に抗議文を提出。受け入れ表明の撤回を求めました。反対派の間では、配備計画の是非を問う住民投票の実施を求める動きも起きています。
また、部隊の配備先とみられる地域は、パイナップルやサトウキビの栽培が盛んな農業地帯です。安全保障上のリスクだけでなく、観光や農産品のイメージに与える悪影響を懸念する声もあるのが現実で、市民の間の溝は深まる一方です。

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石垣島の隣の宮古島。1月22日、この島で市長選挙が行われ、現職の下地敏彦氏が、3回目の当選を果たしました。下地氏は、すでに去年6月、部隊の受け入れを表明しています。選挙戦では、自衛隊配備の賛否が争点となりましたが、賛成派の下地氏が接戦を制したことで、予定通り、配備は進むものとみられます。選挙後、稲田防衛大臣は、「南西方面の自衛隊の空白地帯は、解消しなければならない。住民の理解を得ながら配備を進める」と述べました。

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これまで、自衛隊の配備対象となった島々をみていきましたが、対象となった自治体では、賛成派と反対派の住民の間に、深い溝が生まれています。双方の主張を要約しますと、賛成派は、▽自衛隊を配備すれば、中国への抑止力になる▽災害が起きた際の迅速な救援に役立つ▽人口増加に伴う経済効果を見込めるなどとしています。反対派は、▽中国との緊張が高まり、有事の際には攻撃対象となる▽主要産業である観光や農業への悪影響が懸念され、むしろ経済的にはマイナスだと主張しています。議論は堂々巡りで、両者の歩み寄りの可能性は低く、自衛隊の配備計画は、結果的に地域住民の分断を引き起こしています。こうした自治体の姿を通して見えてくるのは、国の安全保障の必要性と、実際にそれを支える地域住民の理解をどう両立させるかという、国家レベルの重い問いです。

通常国会では、きょうから来年度予算案の審議が始まり、与野党の論戦が本格化します。ただ、防衛予算、なかんずく、南西諸島防衛に伴う地域の課題については、関心が高いとはいえず、大きな論点にはなっていません。ただ、安全保障政策の立案に携わる政治家が、政策の遂行に伴って生じる様々なひずみやあつれきを、一部の地域の住民が負っている現状に、無関心であって良いはずはありません。国家防衛の必要性を声高に論じながら、実際に部隊が配置される地域の影響に対しては、無関心。地元の人たちから多く聞かれるのは、こうした姿勢への不信の声です。政治には、安全保障をめぐって、地域に多様な声がある現実を直視し、議論や結果に誠実に反映させていく責任があると考えます。

(増田 剛 解説委員)

 

 

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