2004年8月13日、沖縄国際大学に普天間のヘリが墜落炎上 - 日米地位協定に占拠された大学キャンパス、米軍は放射性物質飛散についての対応もせず

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墜落直後、1~2分後には既に米兵が・・・。ヘリは墜落前に墜落場所を無線で通信した事を意味する。しかし、消防への通報は民間人が先だった。 (写真提供 宮里秀雄 宜野湾市ヘリ事故関連写真1〜9 )

 

 

2004年8月13日に沖縄国際大学で起こったこと

 

2004年8月13日

午後2時15分。

 

5700余名の学生が学ぶ沖縄国際大学の本館学舎に米海兵隊の大型ヘリ CH53D が墜落した。

 

大型ヘリの尾翼のローターブレード (転翼羽根) が折れて落下するという信じられない状況。制御不能になったヘリは400メートル離れた大学のキャンパスに墜落。尾翼ローターが落下した地点は志真志小学校のちかくであった。

 

宜野湾市によると、2,300メートルまで部品やコンクリート片が弾丸のように飛び散り、窓ガラスなどを突き抜け、住宅内を貫通するなど38世帯延べ61件の物的な被害を与えた。

 

大学が夏休みで学生がほとんどいなかったこと、宜野湾市の消防署が全力で消火活動にあたったこともあり、結果的には負傷者は奇跡的に3名という少なさに抑えることができたが、

 

沖縄戦で戦時占領されたまま返還されることなく密集した住宅街の只中に基地が居座り続けるということの恐ろしさを我々に示すものであった

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これが1945年の戦時占領のまま街中に米軍基地が居座る沖縄の現実である。

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15年を経て。

見直せば情況は何一つ変わっていない。

 

いったいその時なにが起こったのか、ちゃんと知っておくこと、そして次の世代にちゃんと伝えていくことが大切である。

 

その日に起こったこと、

もういちど写真で振り返っていこう。

 

普天間基地のヘリ CH-53D が沖縄国際大学1号館北側に接触、墜落炎上。搭乗していた乗員3名は負傷、館内にいた大学職員20数名、他民間人に負傷者は出なかった。

 

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まだ、消防車両も到着していない墜落直後の現場(写真提供 宮里秀雄 宜野湾市ヘリ事故関連写真1〜9 )

 

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黒煙を上げ激しく炎上する!墜落直後の現場!(写真提供 宮里秀雄 宜野湾市ヘリ事故関連写真1〜9 )

 

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墜落直後、1~2分後には既に米兵が・・・。ヘリは墜落前に墜落場所を無線で通信した事を意味する。しかし、消防への通報は民間人が先だった。 (写真提供 宮里秀雄 宜野湾市ヘリ事故関連写真1〜9 )

 

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現場を指差しながら駆け寄って来る市民!(写真提供 宮里秀雄 宜野湾市ヘリ事故関連写真1〜9 )

 

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消防車両が到着した時には、煙はすでに車道まで広がっていた。(写真提供 宮里秀雄 宜野湾市ヘリ事故関連写真1〜9 )

 

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墜落直後、黒煙の上がる物々しい現場! (写真提供 宮里秀雄 宜野湾市ヘリ事故関連写真1〜9 )

 

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『炎上する機体!』この写真を撮ったカメラマンは、その後米兵に現場を追い出され、その時カメラを奪われそうになった。(写真提供 宮里秀雄 宜野湾市ヘリ事故関連写真1〜9 )

 

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機体の残骸は炎を上げ燃え上がる!№9 (写真提供 宮里秀雄 宜野湾市ヘリ事故関連写真1〜9 )

 

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校舎に激突し、構内で炎を上げ炎上する機体!二次爆発の危険性が高い状況の中、自らの危険を省みず消火活動する宜野湾消防。(ヘリ事故関連写真10〜18)

 

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消化活動を終え息をつく軍消防士。彼らも、また沖縄県民・・・! 写真提供 新垣善正 №32 (ヘリ事故関連写真10〜18)

 

消火させるだけ消火させ、後は地位協定で排除

 

宜野湾消防署の全車が対応にあたり、化学消火剤で消火。消火活動が終わると疲れでそのまま現場に座り込む消防士もいた。

 

しかし、消火は宜野湾署にやらせながら、米軍はそこから一切の立ち入りを排除した。警察も追いだされ、ただただテープの向こうから傍観するだけだ。

 

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米兵により押し返される沖縄カメラクルー 写真提供 新垣善正) №12 (ヘリ事故関連写真10〜18)

 

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この黄色いテープから、日米地位協定の枠が始まった! 矛盾だらけの日米地位協定・・・! (ヘリ事故関連写真10〜18)

 

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フェンスを隔てれば歩道!ある主婦は言った!『墜落のあったその時間帯は、子供が塾へ通うためいつものように自転車でその歩道を通る予定だった。しかし、その日は偶然にも父親が家にいて自家用車で送った為に災難を逃れたと言う。』もし、自転車で通っていたら・・・!写真提供 新垣善正 №15 (ヘリ事故関連写真10〜18)

 

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機体はバラバラとなり、原型を留めていない。もし、夏休みでなかったら第二の宮森小学校に・・・! (ヘリ事故関連写真10〜18)

 

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黒焦げになった校舎と周りの樹木! 写真提供 新垣善正 №23 (ヘリ事故関連写真10〜18)

 

もしこの落下したヘリの燃料タンクに引火し爆発していれば、宮の森小学校の墜落事故のように住宅街を火の海にしただろう。宜野湾市の消防署員の懸命な消火活動のおかげである。

 

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今にも爆発しそうな燃料タンクが横たわる!№25 (ヘリ事故関連写真10〜18)

 

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日米地位協定を盾に、米軍のみだけで現場検証が行われた・・・。事故は民間地域で起きているのにも関わらず、県警も消防も現場検証できない矛盾さ・・・!日米地位協定を盾に、米軍のみだけで現場検証が行われた・・・。事故は民間地域で起きているのにも関わらず、県警も消防も現場検証できない矛盾さ・・・! 写真提供 新垣善正 №26 (ヘリ事故関連写真10〜

18)

 

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前方数m先には給油所が!そして、その隣にはスーパーが・・・!一歩間違えれば大惨事に!多くの市民が被害に遭ったかも・・・!№30 (ヘリ事故関連写真10〜18)

 

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現場に入れない沖縄県警・・・!そこには日米地位協定の壁が・・・!写真提供 新垣善正 №34 (ヘリ事故関連写真10〜18)

 

<ドキュメント>

2004年8月13日 (肩書はいずれも当時)

14時15分 米軍普天間飛行場から訓練飛行のため飛び立ったCH53Dヘリがバランスを失い沖国大1号館(本館)に衝突後、駐車場に墜落。「直後に米兵約50人が構内に入り、事故現場を封鎖。本館から職員を退去させられた」と大学職員

14・19 宜野湾市消防本部から消防、救急車両11台が出動

14・20 伊波洋一宜野湾市長が市内で普天間基地返還要請のための訪米行動したことの報告中、事故の知らせを受ける

14・25 消防が現場到着、消火作業開始。構内放送で学生に退避呼び掛け

14・40 火災鎮圧

14・50ごろ 米軍が通行止め。墜落のニュースを知った市民らで現場が混雑

16・30 本館に入ろうとした渡久地朝明沖国大学長らを米軍、県警が制止。渡久地学長「強く抗議」。市議会が基地関係特別委員会を招集

17・45 伊波市長と渡久地学長が会見。「最悪のヘリ事故」 

「大学にヘリが落ちた」煙、悪臭の方向に急ぐ 現場は米軍が封鎖、県警を排除 15年前に沖縄で起きたこと - 琉球新報

 

住宅街に弾丸のように突き刺さる破片

 

今回の墜落事故では、沖縄国際大学の本館を含め、周囲2,300メートルまで部品やコンクリート片が弾丸のように飛散し、アルミ戸や窓ガラスなどを突き抜け、住宅内を貫通するなど38世帯延べ61件の物的な被害を与えました。 これだけ多くの物的被害にもかかわらず、学生や市民に人身被害がなかったことは、奇蹟的であり、普天間飛行場の危険性への最後の警告と受け止めなければなりません。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/00277_00004.pdf

 

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墜落現場向かいのアパートの窓ガラスを直撃!注意(鉄条網入りのガラスは外部からの衝撃に絶えられる強度をもっている。)しかし、ガラスの破片は隣部屋の襖を貫通!(写真下)№39

 

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止めてあったバイクにプロペラが直撃!写真提供 新垣善正 №44

 

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落下したプロペラによって破損したバイク!

 

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マンション看板のビスを根こそぎ抜く程の破壊力!写真提供 新垣善正 №46

 

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なぎ倒されたブーゲンビレア アーチ。写真提供 新垣善正  №48

 

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破片が水タンクを貫通!そこからは水がも漏れ出している!№50

 

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勝手口を破片石が貫通。その隣にはボイラーの石油タンクが・・・!№52

 

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我如古公民館裏の豚舎近くに落ちた尾翼(テールローター写真提供 新垣善正 №54

 

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寝室にも建物の破片が・・・。墜落直前まで、幼児が寝ていた。

 

米軍ヘリは、大学本館ビルに激しく衝突して墜落しましたが、外階段のある側壁で爆発炎上し、間一髪のところで室内への延焼にいたりませんでした。室内へ火の手が回れば、最悪の事態になっていたことでしょう。

 

大学本館に激突した米軍最大の大型ヘリは回転翼でコンクリートを削り取って周囲の住宅地域に弾丸のように飛散させ、コンクリートの破片やヘリの破片は、周囲の住宅のアルミ枠や窓ガラスを割って室内に飛び込み、板戸も突き抜けて反対側の壁に突き刺さって止まったのです。室内に住人が居たら、どんな悲惨な状況になっていたことでしょう。

 

実は、ある部屋には直前まで6ヶ月の赤ちゃんと若い母親が寝ていたのですが、ヘリが墜落するのを知らせる電話で跳び起きて赤ちゃんを抱えて部屋から逃げて一命を取り留めたのです。 階下の中古車店で働いていた家族も墜落するヘリを避けようと物陰に隠れて被害に遭わずにすみました。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/00277_00004.pdf

 

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大型クレーン車で吊り上げられる破壊した機体!№57

 

今回の墜落事故は、目撃者の話を総合するとCH53大型ヘリの尾翼のローターが折れて落下し、コントロール不能になって機体全体が回転しながら400メートル離れた沖縄国際大学に斜めに落ちていったのです。尾翼ローターの落ちた地点は志真志小学校の直近であり、中部商業高校や宜野湾記念病院も沖縄国際大学と等距離であり、地域内にある多数のマンションを含めて、この地域のどこに落ちていっても不思議ではありませんでした。

 

普天間飛行場は、市の中央部にあり、その周囲に沖国大のほか、市立の8つの小学校と4つの中学校、私立小中学校、3つの高等学校、50近くの保育所や、病院、マンションなど常時、人が多く集まる施設や建物が数多くあります。 普天間飛行場の米軍ヘリは、人口が密集する8万8千市民の住民地域上空で、毎日のように何百回も旋回訓練をしてきたのです。米国内や日本本土なら決して許されないことであります。

 

普天間飛行場は、このような人口密集地にある「世界で一番危険な基地」として、その危険を取り除くために、8年前に5ないし7年以内の全面返還が日米両政府で合意されたはずです。 しかし、この数年間で飛行回数は年間で1万回以上も増え、米軍ヘリの旋回地域も大幅に住宅地域にはみだすようなりました。(宜野湾市)

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/00277_00004.pdf

 

在日米軍発言の「素晴らしい功績」、墜落を「緊急着陸

 

在沖米軍の事故対応は、いつもこうだな。「素晴らしい功績」「緊急着陸」。

 

 沖縄県宜野湾市で起きた米軍ヘリ墜落事故で、在日米海兵隊基地副司令官のジェームズ・フロック准将が27日、米海兵隊キャンプ瑞慶覧(ずけらん)(同県北中城村)で記者会見した。事故を「緊急着陸(エマージェンシー・ランディング)」と表現したり、ヘリ乗組員の名を明かさなかったりするなど、事故の重大性をめぐる日米の認識の差を改めて際立たせた。

 

 准将は会見の冒頭で「ヘリが宜野湾市内でクラッシュした」と、航空機の墜落を意味する言葉を使ったものの、事故の詳細を述べる際には使わず、「大学内に緊急着陸し、その際、建物と接触した」と述べた。13日午後2時19分には、ヘリの「着陸と炎上」を別の米軍機が目撃し、管制塔に伝えていたとも述べた。

 

 会見では、海兵隊による現場の封鎖にも言及した。基地外の民間地域だったため、地元の強い反発を呼んでいる行動だ。

 

 准将は事故後、海兵隊員が大学本館に入り、学生や教師の避難を「援助した」と説明。現場に着いた県警の警察官と米憲兵隊が、集まった人々を離れた場所にエスコートするように」調整し、「歩行者が気づかずに入って危険にさらされないよう、ヘリの残骸(ざんがい)周辺を規制した」という。

 

 県警の現場検証の要請には日米地位協定に基づき、海兵隊が現場での主導権をとる」と答えたという。

 

 乗組員3人は裂傷ややけどを負った。3人の名前や年齢・階級は「プライバシーの問題だ」と明かさなかった。

 

 同型機は22日に飛行を再開したが、准将は「性急に行われたのではない」と繰り返し強調。「テロとの戦いに向けて派遣されたもので、同日以降、普天間からCH53Dは飛んでいない」と理解を求めた。

 

 会見は約1時間。准将の説明に続き、報道側が事前に提出した計12問の質問状に沿って進められた。しかし、「県警の現場検証を拒否した理由」などには答えなかった。

朝日新聞『米軍、ヘリ事故を「緊急着陸」と説明 日本の認識と格差』(08/28 00:07) 

 

このような中、8月26日に横田にある在日米軍司令部ワスコー司令官は沖縄国際大学への墜落事故について「乗務員は飛行コントロール不能になった機体を精一杯、人のいないところに行かせて被害を最小限に止めた。素晴らしい功績があった」などと発言しています。また、沖縄にいるフロック在日海兵隊基地副司令官もヘリ墜落を「緊急着陸と言い換えて市民の思いを逆なでするような発言をしています。

 

この二人の司令官が言うように乗務員がヘリをコントロールしたのなら、尾翼ローターが折れてコントロール不能に陥った人家のない草木の茂る場所からあえて建物や人が多い地域に向かわせて大学本館に激突させたことになります。

 

ワスコー司令官の発言のように乗務員がコントロールしたのなら、その責任は重大です。日本の主権を侵害するような墜落事故後の米軍による現場封鎖の不当性と併せて両司令官の事実に反するような発言に怒りをもって抗議したいと思います。

宜野湾市、経過報告

 

基地内消防署員にだけ放射能被爆検査した米軍

 

宜野湾市の消防員はタンク車等車両11台と消防職員27名を出動。米軍より早く現場の火災鎮圧、救急応急処置にあた。

 

ところが米軍は、普天間基地内の米軍消防署員にはストロンチウム90の放射能検査を行うも、実質的な消火活動を担った宜野湾市の消防署員には何一つ報告すらしなかった

 

沖国大ヘリ墜落、米軍消防に放射能検査 宜野湾消防には行わず

琉球新報 2015年8月18日 12:30

 

 2004年8月に発生した沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事故で、放射性物質ストロンチウム90」がヘリから飛散したため、米軍が消火活動をした普天間飛行場の救難消防隊員に対して放射能検査を行っていたことが分かった。

 

ストロンチウム90の飛散は事故から3週間経過しても公表されず、その理由について在沖米海兵隊は「(人体への影響に対する)懸念がなかったので公表が遅れたと思う」と県や宜野湾市に回答していた。一方、現場に最初に到着した市の消防隊員に対しては検査が行われておらず、事故対応をめぐる米軍の矛盾が浮き彫りになった。

 

 琉球新報が事故から約7カ月の間に行われた海兵隊と県などの会合を記録した宜野湾市の内部資料を情報公開請求で入手して判明した。


 入手したのは04年12月28日と05年3月4日の2回にわたって行われた海兵隊と県や市、沖国大の関係者らによる会合資料。事故現場の土壌調査結果について話し合っており、出席者の質疑応答などが記録されていた。当時の関係者などによると、会合は非公開で行われた。

 

 資料によると、会合の出席者の質問に対して海兵隊側が回答しているとみられる文言が続く。海兵隊は2回目の会合で「気化したストロンチウムは人体への影響はないと断言できる」と安全性を強調していた。その一方で「消火活動をした隊員は、センサースキャナーで放射能検査を実施したが乗務員は、センサースキャナーでの検査は行ってない」と説明している。


 県への情報公開請求で入手した事故の調査報告書によると、事故当時、市の消防車が現場に最初に到着し、その5分後に普天間飛行場の救難消防隊も駆け付けて消火活動に当たった。同市消防本部によると、当時消火活動に当たった市の隊員は放射能検査を受けておらず、米側から検査の必要性を打診された形跡もない。一方で米軍側は自軍の隊員のみ放射能検査を受けさせていた。

 

 1回目の会合で土壌調査結果の報告があった際、米国大使館は事故から約20日後になってストロンチウム90が気化したことを発表しており、質問では人体や周辺への影響を懸念する声が相次いだ。

 

 このうち「公表が遅れた理由は何か。すぐに発表できない訳でもあったのか」という質問に対し、海兵隊側は「人体に影響がある場合だったらすぐに公表したと思う」と回答した。さらに「事故直後は現場も混乱し、優先事項を決めて対応しなければならなかった。そのような懸念がなかったので公表が遅れたと思う」と理由を説明していた。(中里顕、当間詩朗)

 

戦時占領によって構築した危険な基地を74年間も沖縄県民に押し付けてきた。この普天間基地の存在自体がハーグ陸戦条約違反である。

 

 

普天間の返還は沖縄の犠牲なしで返還されるべき、その根拠はそこにある。

 

ospreyfuanclub.hatenadiary.jp