1965年1月22日 沖縄 残波岬のボーローポイントでおこなわれていたミサイル展示会

1958年11月、迎撃用ミサイルであるナイキ・ハーキュリーズの発射基地が初めて沖縄本島に建設される。

『沖縄と核』

 

ロイターは、1965年1月22日 (金) 、沖縄の米軍が日本の記者らを招き、ナイキ・ハーキュリーズの展示会をしていた。米国高等弁務官キャラウェイは自らマイクを持ち、雄弁にミサイルを語る。

 

 

結局、この後、ナイキやホークの拠点はその多くが自衛隊に移管される。沖縄返還ではない。米軍のミサイル基地は日本の自衛隊のミサイル基地となり、そしてそこに配備されていた (中古) のナイキは日本に売却された。みっちり三か月間の米兵による自衛官への OJT(On-the-Job Training)つまり現任訓練付きだった。間違いはない。その当時、OJT 担当の米退役軍人がそう言っているのだから。

 

Japan: Okinawa: U.S. Base Demonstrates Nike-Hercules And Hawk Missiles To Japanese Journalists 1965

 

日本の記者は、アメリカ陸軍が金曜日の米国での演習中に彼らのナイキヘラクレスとホークミサイルを実演するのを見ました。


LT。ポール・キャラウェイ将軍、琉球諸島の米国高等弁務官、および発射されるミサイルを監視している日本および地方の報道機関のメンバー。ジャーナリストに沖縄の戦略的価値を説明する一般的なキャラウェイ


背景:日本の記者は、沖縄本島の米空軍基地での金曜日の演習中に、アメリカ軍が彼らのナイキヘラクレスとホークミサイルをデモンストレーションするのを見ました

ナイキ・ハーキュリーズとホークミサイルは、主に地対空ミサイルに使用されます。ナイキハーキュリーズの速度は時速1,500マイル(2,414 KPH)を超え、走行距離は75マイル(121キロメートル)です。核弾頭または従来の弾頭のいずれかを搭載することができ、敵機を単独でまたは飛行中に破壊することができます。

ホークは約61/2マイル(約10 1/2キロメートル)の高さに達することができますが、低空飛行の航空機に対して使用するために主に設計されています。直径27フィート(約8メートル)と14インチ(355.6ミリメートル)です。

日本は沖縄と他の琉球諸島が日本の支配に戻ることを望んでいます。しかし、アメリカは、両国にとっての戦略的価値のために島の支配を維持したいと望んでいます。この問題は、MRのときに議論されました。日本の首相である佐藤は、先週ワシントンでジョンソン大統領に会った。しかし、非常に遠く、満足のいく結論には達していません。

 

この時、日本の政府もメディアも、これが核兵器の一つであるとは考えなかった (考えたくなかった) 。

 

しかし、実際、冷戦の砦にされた沖縄に玉抜きの配備などありえなかった。

 

アメリカ国防総省の歴史にも、沖縄に配備されたナイキ・ハーキュリーズ核兵器としてリストアップされている。また、私たちが話を聞いた多くの元ナイキ部隊の兵士も、ナイキには核弾頭が搭載されていたことを証言している。

『沖縄と核』

 

このあと、残波岬ではナイキやホークの発射訓練が日常となる。しかしそれが核兵器であることは当時誰も知らなかった。

 

ナイキサイトのトレーナーだった退役軍人はコメントを寄せている。

 

人は「無知は至福」という。すべてではないにしても、ほとんどの沖縄人は、核兵器がずっと彼らの鼻のすぐ下にあることを知らなかった。核兵器は沖縄人や一日24時間年中無休で核兵器を管理してる米軍兵士に危険を及ぼすことはなかった。核兵器は、それらがそこにあると知る他国のための抑止力としてそこに存在したんだ ! 無知なものだけが彼らが知らないことを恐れる …… いや、沖縄人が無知だと言っているのではない … ただ「あなたが知っていないものは、あなたを傷つけたりはしない」ということ。日本人と沖縄政府は確かに核のことを知っていて、返還に際して、私たちは彼らの要求に応じてそれらをすべて除去した、ということなんだ。