1945年9月5日 「祖国という観念」とは

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仮設病院施設。沖縄にて。/ Okinawa. Temporary hospital facilities.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 

 

沖縄人にとって「祖国」とは、なんだろう。

 

琉球王国という「国」を処分され、大日本帝国に併合されたあとは、沖縄人の「祖国」は、いきなり日本国になった。

 

琉球/沖縄には12世紀頃から「国王」がいて、アジアの国々は、琉球/沖縄を「国」として認めてきた。

 

当然のことながら、12世紀に「大日本帝国」は存在していないので、古来から琉球/沖縄が「日本国」の一部であったはずはない。

 

大日本帝国は、沖縄人に武力と圧力で「日本国こそが沖縄人の祖国」という観念を植え付けてきた。

 

誰かが無理矢理に押し付ける「もの」は、一時的には定着したとしても、何かの拍子で崩れる。

 

73年前の沖縄では、押しつけられた「祖国」の統治はなくなり、新しい権力が統治を始めていた。

 

しかし、その後、沖縄県民は「祖国復帰」と言い始め、日本国による統治を自ら望み、それを叶えた。

 

その望みの先にあったのは、今に続く米軍基地問題と、日本政府による冷遇だ。

 

沖縄人の「祖国」が日本国であるならば、

なぜ、日本国政府沖縄県民が望む形での問題解決をしようとしないのか。

 

沖縄県民よ。

いま一度、考えてほしい。

 

沖縄人にとって「祖国」とは、なんなのか。

 

「沖縄人の祖国」は、130年以上も前に、日本国によって処分され、永久に葬られた。

 

しかし、「沖縄人の祖国」は、沖縄人の心に、魂に、そして伝統行事や文化、風習、芸術や芸能の中で存在し続けている。

 

行政や社会を統治する「国」が「祖国」だとは限らない。

 

沖縄県民よ、そのことに気づいてほしい。

 

1945年 9月5日 『祖国という観念』

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