1945年9月4日 「お国」とはどこなのか

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写真解説: 【原文】 Disarmed and searched for contraband, Jap officers and men are marched away under guard of alert marines whose feelings toward Japs have not been affected by the signing of peace terms.
【和訳】 武装解除され、禁制品を検査された後、海兵隊員の厳戒監視の下、連行される日本軍の将校と兵士。海兵隊員の彼らに対する感情は、平和条項にサインした後も変わらない。
撮影日: 1945年 9月 3日

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 
沖縄に戦争をしに来た日本軍部隊の多くは、中国戦線から来た部隊だった。

 

彼らが来た沖縄には、皇国の「内地」とは生活様式、言葉、住民の出で立ちが違う人たちが暮らしていた。

 

沖縄は、日本兵にとっては、ほぼ異国であった。

 

真面目な沖縄県民であれば、あるほど、日本兵から馬鹿にされまいと、日本人以上に日本人になろうと努力した。

 

しかし一部の沖縄人は、日本兵に屈辱的に扱われたことで、「こんな国のために死ぬもんか」と反抗した。

 

沖縄には、今も「お国のために」と馬鹿真面目な思想を持った県民がいる。

 

土人」と言われ、「ゆすり、たかりの名人」と言われても、馬鹿真面目に、日本人以上に日本人になろうとする沖縄県民がいる。

 

沖縄県民よ。

 

なぜ、そのような扱いをされてまで、「お国のために」尽くすのか。

 

なぜ、沖縄ばかりに負担を押しつける国を「祖国」と呼ぶのだ?

 

1945年 9月3日 『次々と降伏する日本軍部隊』

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