少年ゲリラ兵、マラリア、住民虐殺── 『沖縄スパイ戦史』が描く戦争の実相 - VICE
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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年8月27日 『連合国軍の日本進駐』
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74年前の今日
午後一時、
横浜の相模原湾に
一面覆いつくすほどの米軍艦隊が現れた。
いよいよ、連合国軍による日本本土への進駐が始まる。
連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立つまで、あと3日。
米海軍は、まずは相模湾一帯の海域を占領し、ひっきりなしに航空機を飛ばして監視活動をした。
その頃、沖縄では戦闘疲れした米兵らを労うため、ビーチパーティーが開催されていた。
このように、現状は目まぐるしく変化しているにも関わらず、この小さな沖縄島や周辺の島々では、戦争が続いていると思い込んでいた敗残兵が、まだまだ多くいた。
北部でゲリラ戦を展開した護郷隊の隊長らが投降したのは、それぞれ10月2日、1946年1月3日であるが、
護郷隊の学徒隊は7月に「潜伏せよ」と解散を命じられていたが、護郷隊とは名ばかりで、郷土を戦場にしたゲリラ戦は、十代半ばだった少年兵の心もずたずたにした。
現在、ネットで「護郷隊」を検索すると、産経新聞の元沖縄支局、宮本雅史の書いたポストセブンの記事やらが上位にリストアップされる。
沖縄戦を学ぶときに注意しなければならないのは、沖縄戦は相当な歴史修正主義の歴史戦に巻き込まれているということだ。
この産経の宮本雅史が護郷隊について書いた本は、悪質にも歴史書・ノンフィクションの装丁を装っているが、実際は愛国「小説」である。
battle-of-okinawa.hatenablog.com
陸軍中野中学の将校と護郷隊に関して、長年の地道な聞き取りと研究をペースにして分かりやすくまとめられた基本文献としては、圧倒的に、名護市教育委員会文化課の川満彰氏による『陸軍中野学校と沖縄戦 知られざる少年兵「護郷隊」』をお薦めしたい。
歴史的に不明のままとなっている開南中学の学徒兵についてやなど、こうした素晴らしい研究が今後も待たれる。くれぐれも疑似歴史書に要注意である。
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