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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年7月9日 『この島を取りに来ている強い米軍』
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どうやらトランプ大統領は
合意に基づいて普天間基地を「返還」するのは、日本政府による米軍の土地の「収奪」であると考えており、日本政府に対して土地の賠償金を模索しているらしいのであるが、
戦時占領をこれほどまで長く続ければ、
占領していることも忘れていしまう悪い例であろう。
74年にもわたる占領を続けていることへの「賠償」を求めるべき立場にあるのは、米国ではない。実に我々のほうだ。
実際、74年前の今日、
米軍は着々と沖縄の土地をローラーで潰し基地として造成していた。
米軍が投下したビラにも、彼らが「この島を取りにきた」のだとはっきりと県民に告げている。
そんな中、久米島では、
ある意味で沖縄戦を集約するような状況が先鋭化していた。
島民の今日の戦中日記には、
米軍と日本軍との両方を恐れ、自宅に帰ることは許さないという日本軍と、
山に逃げれば日本軍とみなし掃討するという米軍との板挟みのただ中にいた。
山の部隊、鹿山隊は文字通り「山賊」化していたのだ。
またこの時期、裸同然で里をうろつく米軍におびえ逃げ惑う女性たちのことも日記は数か所で記している。
この時期、久米島は二つの軍に帰るべき家を奪われていた。
また日本軍に占拠された八重山でも、強制疎開させられた島民の間でマラリア罹病者が激増しつつあったが、
元陸軍中野学校の工作員「山下」はそれでも島民に帰宅を許さなかった。
この時期から8月にかけて、パンデミックとなった戦時マラリアが文字通り人々を襲うことになる。
1922年にはじめて八重山で患者数が報告されて以降、毎年100人から200人の患者報告で推移し、致死率は4%以下に保たれていました。しかし、第二次世界大戦終了の1945年には、患者数は16884名になり、そのうち21.76%の3674名がマラリアで亡くなりました。戦闘でなくなった住民はわずかに176名でした。
島に駐屯する軍は
いざというとき島を守るのか。
74年を経た現在、
島を「取り」あった二つの国は、
今度は「同盟国」となって
県民の民意など無視した基地建設を強行している。
二日前には、与那国と宮古の陸上自衛隊配備に伴い、情報収集や情報流出を監視する「情報保全隊」も配置されていたことが判明したばかりであるが、
74年の月日を経て再び
島に「山下」がやってきたも同然である。
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