6月23日、慰霊の日は誰の為に

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慰霊の日。沖縄戦のすべての犠牲者と、そして昨年の翁長知事のことを考えている。

 

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年6月23日 『第32軍の終焉』
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今日、6月23日。
摩文仁の丘で2人の男が自決したと伝えられている。

 

第32軍司令官の牛島満陸軍中将と、
参謀長の長勇陸軍中将。

 

ゆえに、6月23日の今日『慰霊の日』とは、彼ら二人の命日ということだ。(注: 22日の説もある)

 

そして、沖縄にいた日本軍のトップ2人の死をもって、6月23日は『日本軍による組織的な抵抗が終わった』と表現される日になった。

 

しかし『組織的な抵抗』とは、
一体なにをいうのか。

 

1945年6月中旬以降、第32軍上層部からの命令など、各部隊に届いていなかった。

 

伝令を出しても帰ってこない。
無線もほとんど通じない。

 

今日、摩文仁の丘で自決した第32軍の将軍二人には、とっくに組織を統率する力はなかった。

 

この時点では、もう、「組織的な抵抗」ができる術も、兵力も、なかったのだ。

 

だが、彼らは自決する何日も前に、『最後の一兵まで戦え』という最後の命令を下していた。

 

6月18日 (月)

牛島司令官は全ての軍に最後の命令を出した。しかし、それは沖縄戦の終わりを告げるものではなく、むしろ、『最後の一人まで、そして沖縄の島の南の崖、尺寸の土地の存する限り、戦いを続ける覚悟』(5月5日) を、徹底する命令であった。

 

『今や戦線錯綜し、予の指揮は不可能となれり。諸子は祖国のために最後まで敢闘せよ。生きて虜囚の辱めを受けることなく、悠久の大義に生くべし』

 

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また同時に、10代の少年たちで構成された鉄血勤皇隊 (千早隊) に訓令を出し、「鉄血勤皇隊をひきいて部隊の戦闘終了後はゲリラ戦に出よ」と一将校を、その指揮官に任命した。

 

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また同時に、10代の少年兵たちにも訓令を出し、「鉄血勤皇隊をひきいて部隊の戦闘終了後はゲリラ戦に出よ」と一将校を、その指揮官に任命した。

 

組織のトップが下した命令に従い、明日も、明後日も、日本兵による抵抗は続く。

 

司令塔のいないまま、
沖縄戦は終わりなき戦いへと突き進む。

 

第32軍首脳2人の死を知る兵は、ほとんどいなかったし、

知っていたとしても、最後の命令に従おうとした真面目な兵は多かった。

 

そのため、8月を過ぎても、9月になっても、
人々に「平和」が訪れたわけではない。

 

それどころか、沖縄戦は、司令塔を失ったまま、最期のひとりまで『敢闘せよ』『祖生きて虜囚の辱めを受けることなく、悠久の大義に生くべし』ことを強いられたのだ。

 

で、結局、第32軍の首脳2人が自決したとされる6月23日とは、何の日なのか。

 

沖縄県は、今日という日を『慰霊の日』として定めており、2人の男が自決した摩文仁の丘一帯では、沖縄に駐留する米軍の司令官や米国の領事、総理大臣を含む日本国の閣僚、国会議員らを招いた、沖縄県主催の追悼式が開かれる。

  

追悼式では、2人の将軍を含む全戦没者の魂に届くよう、平和宣言が行われ、「平和の詩」が朗読される。

 

県主催の追悼式には日米両政府の要人らが出席するため、糸満市内は厳重な警備が敷かれ、平和祈念公園前の一本道は大渋滞する。

 

公園内は要人らの安全に配慮する形で警察官、警備員や県職員が配置され、県外からも機動隊がやってきて非常に物々しくなる。公園内の駐車スペースは、要人や関係者らの車両以外は駐車禁止となる。どのレベルの要人が参加するかによっては、公園内での一時停車も認められない。

 

追悼式といいながら、沖縄に寄り添うつもりなど微塵もない政治家たちがスピーチを読みにくる。

 

右翼の街宣車量が無神経に大音量を響かせる。

 

だから、

沖縄県が定めた、この『慰霊の日』は、

 

一人でも多くの国民が、「沖縄戦とは何だったのか、平和とは何かを考え、先の戦争で命を失った人たちを想い、戦争という過ちを繰り返さないと決意する日」としてあるが。

 

実は、一日だけ平和を夢や祈りのように思い描いたりすることに、ほとんど実質的に意味はない。

 

あいもかわらず、日本政府は沖縄を安保の捨て石に使い、米軍は毎日のように合意を守らない。

 

沖縄復帰以降は、
日本の軍隊まで基地を拡大し続けている。

 

どちらも県民の意向など関係なく強行される、そのやり方たるや、ほんとうに冷静になってみると、異常としか言いようのないものである。

 

そして、そんな米軍や自衛隊という組織を敬う国民が圧倒的に多くいて、今の政権が支持されている。

 

人間が、一日ぐらい沖縄戦について学んだり、平和について考えたり祈ったりすることぐらいで、平和が構築されるわけではない。

 

戦争は人の逃げ道をふさぎながら具体的な形をとる。
そしておびただしい嘘と欺瞞を重ねてその道筋を作る。

 

それが自分でちゃんと見破れるほど、
しっかり人間の歴史を学ぶことだ。

 

むしろ、今日一日だけ沖縄のことに思いを巡らせるだけでは、今日、儀式として本土からスピーチを読みに来るあれらの政治家となんら根本において変わりはしない。

 

沖縄の過去に寄り添うことなく、
沖縄の未来を見据えることなどできないはずだ。

 

逆に、そういう決意を、グソーの人たちと静かに向かいあい、しっかりと心におぼえる、

 

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そういう日なのかもしれない。

 

ご覧ください。⇩

1945年 6月23日 『第32軍の終焉』

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