土地が基地化されるということ

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糸数アブチラガマ|南城市

南城市、アブチラガマのサイトが歴史資料も含めて充実しています。実際に訪れて中に入壕することもできます。案内はこのサイトから。⇧

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年6月14日 『アブチラガマへの攻撃』
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74年前の今日、

 

いよいよ米軍は、
沖縄本島のほぼ全域を制圧していた。

 

読谷、嘉手納、伊江島那覇

 

日本軍が土地を強制接収し、地元住民を動員して作りあげた飛行場基地は、皮肉なことに、ほとんど使うまもなく米軍に占領され、今度は逆に日本を攻撃するための米軍基地として利用された。

 

戦争から74年の今現在も、今も基地化された多くの沖縄の土地が、米軍や自衛隊の基地として使用され続けている。

 

日本軍の「東洋一」と言われた伊江島の飛行場は、島民の半数の命を奪ったばかりか、いまも米軍基地として理不尽な訓練押し付けを強いられている。
 

ryukyushimpo.jp

 

どれほど人の命が奪われ、
あたり一面を焦土にさせようと、

 

まさに国破れても基地は在る。いったん基地化された土地は、いつまでも基地として利用しつくされる。

 

74年前の今日、

 

沖縄守備軍が住民を守ってくれると信じるしかなかった人々は、まさに軍と運命を共にしようとしていた。

 

米軍は、南部に点在する無数の壕を見つけては投降を呼びかけ、それに応じる者は保護し、頑なに拒否する者には容赦しなかった。

 

沖縄戦の悲劇とは、多くの命が失われたことだけを指すのではない。

 

軍と「共存共栄」し、その教えを真面目に信じ守ることが、どれだけの犠牲と悲劇を生むかということの、

 

まさに、この世の地獄絵であった。

 

ご覧ください。⇩

1945年 6月14日 『アブチラガマへの攻撃』

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