失われた街のすがた

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年5月25日 『米軍、那覇に進撃』
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戦争が奪うものは、
人々の命だけではない。

 

その土地の生態系と、そこに育まれた永年の人々の暮らしの記録や文化、いわは「歴史」まで瓦礫の山にしてしまう。

 

沖縄戦はあまりに多くのものを沖縄から奪った。

 

その意味で、沖縄戦と米軍基地は
いまも沖縄の歴史研究の壁となり続けている。

 

沖縄戦から
さかのぼること、ちょうど十年前、

 

当時の大阪朝日新聞の記者らが沖縄を訪れ、
277枚の写真を撮った。


そのネガが近年偶然、

朝日新聞社の倉庫から見つかった。

 

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http://www.asahi.com/special/okinawa/oldphoto/

 

傷やカビを修繕されて公開された白黒写真の数々は、
更に AI (人工知能) によってカラー処理化することも可能になった。

 

そこで「記憶の解凍」(東京大学・渡邉教授) されていく
沖縄戦から十年前の沖縄の姿があまりに美しく。

 

さすが、素人がやるとこれほど鮮やかにならない。

渡邉英徳 on Twitter: "戦前、1935年の沖縄。リクエストにお応えしてみました。ニューラルネットワークによる自動色付け。 https://t.co/0hBOdHHIia… "

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これがわずか十年後にどのように変わっていくのか。

 

我々が沖縄戦シリーズのなかで

日々紹介している米軍によって記録された沖縄のすがたとの落差に、眩暈すらおぼえる。

 

 

74年の今日、

 

米軍は首里を取りまく日本軍の防衛線を次々と突破、

 

首里一帯を包囲し、
司令部壕まで、あと一歩に迫っていた。

 

海兵隊は西側の那覇に進軍しつづけ
やがて国場側の対岸で待ち受ける日本海軍と直面する。

 

両軍が戦う、その戦場のただなかで、
避難民として逃げ惑う大勢の県民のすがたがあった。

 

「老人をかばい、子供の手をひき、食をもとめて恐怖におののきつつ、髪をふり乱し、濡れた体でさまよう住民の姿は、まさに見るにしのびない地獄絵図である。」

 

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《AIによるカラー処理》女性の死体。那覇にて

Dead woman in the capital city of Naha.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

 

にぎわう市場、モダンなデパート、赤レンガと白い漆喰の家が整然と立ち並ぶ街のおもかげは、もはやここにはなかった。

 

 

ご覧ください。⇩

1945年 5月25日 『米軍、那覇に進撃』

neverforget1945.hatenablog.com