シュガーローフのこの場所で ~ 美しい眺めでしられた慶良間チージはありったけの死で満たされた丘となった

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沢岻高地に向かう海兵隊

Marines of the 1st Division move carefully toward the crest of a hill on their way to Dakeshi. The forwardmost Marines stay low, off of the skyline.

THE FINAL CAMPAIGN: Marines in the Victory on Okinawa

 
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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年5月13日 『村全体を破壊する命令』
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シュガーローフの戦い。
慶良間チージと呼ばれた丘だった。
 
その名のごとく、この丘から
慶良間諸島を眺めることができたというが。
 
74年前の昨日、
5月12日から18日にかけ
およそ1週間続いた激戦の地。
 
この地の戦いだけで
海兵隊は、2,662名の戦死傷者と、
1,289名の戦闘疲労患者を出した。
 

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日本軍の陣地は
村の中に巧妙に隠匿されていたため、
 
74年前の今日、
米軍はまず村全体を破壊する命令を下した。
 
進攻する米軍はこう記している。
 
通過していく廃墟の連なりも、もとは風情豊かな村だったのだ。藁葺き屋根や瓦屋根の、趣に富んだ小さな家々が、今は瓦礫となってくすぶっていた。
 《「ペリリュー・沖縄戦記」(ユージン・B・スレッジ: 伊藤真/曽田和子 訳 /講談社学術文庫) 360-361頁より》 

 

沖縄戦の後、
 
1953年にこの土地は強制収用開始され、
米軍の牧港住宅地区となり、およそ 3,000人の海兵隊員が住んでいたが、
1987年に全面返還が実現。
 
今は大型ショッピングセンターや総合運動公園などが連なるにぎやかな那覇新都心おもろまちとしてよみがえった。
 
74年前の名残を残すのは
現在、上水道のタンクとなっている丘だけだろうか。
 

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頂上にある那覇市水道局の白い給水タンクが目印で、丘の上まで登ることができます。

シュガーローフ(那覇市)| 戦跡と証言 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局

 
身を隠す草木もない
焼き尽くされたこの場所で
 
米軍と日本軍と住民の
大勢のいのちが切り裂かれていった。
 
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