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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年5月1日 『軍刀を振るって突撃』
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32軍は、中国で戦ったのちに沖縄にやってきた。
日本兵が住民に語る、「捕虜になれば女性は乱暴された上に、男性は八つ裂きにされ殺される」という言葉には、実は、まさに日本軍が大陸でやってきたことそのもので、
その話には、すさまじいリアリティーがあっただろう。
住民は「敵」の恐怖に怯え、
島を守るという軍を信じて基地建設に協力した。
しかし日本軍は、当時の最新兵器を持つ米軍に対して、島に無欠上陸させ、島に米軍を抱きかかえさせることにより、本土を救う持久戦に持ち込んだ。
『最後には軍刀を振るって突撃する考えである』と述べた牛島司令官だが。
しかし、そのような勇ましい言葉を述べた牛島は、最後まで米軍と向き合うことはなく、
敗北宣言すらする気もなく、
摩文仁の丘で
人知れずひっそりと自決した。
そのことが沖縄戦を終わりなき遊撃戦へと導いた。
そのような日本軍と「共生共死」するのだと思い込まされていた住民。
特に沖縄県の役人や警察官らは、どうにか日本軍に貢献しようとして、進んで「後方支援挺身隊」なるものを結成した。
74年前の今日のことである。
そうして県庁職員も警察官も共に
摩文仁の淵へと引きずり込まれていった。