1945年4月14日、「桜花」つまり、一国の狂気を桜の花で隠すやり方

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まだ少年の面影を残す、「桜花」神雷部隊の搭乗員たち。

人間爆弾・桜花を発案した男の「あまりに過酷なその後の人生」(神立 尚紀)

 
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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年4月14日『やんばるのゲリラ戦』
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昨年11月、
石垣の「島嶼奪回」作戦のシミュレーション文書、「残存兵30%までの戦闘計画」の存在が明らかになった。
 
 
その文書によって、「島嶼奪回」作戦において、「国民保護のための輸送は、自衛隊が主担任ではなく、所要も見積もることができない」と、
 
つまり、自衛隊は、石垣市の有事における住民避難を、自衛隊の管轄外と考えていることが明らかになった。
 
と同時に、
 
この文書は、いまだ自衛隊が、旧日本軍と同じ価値基準とメンタリティーを継承していることを如実に露呈したものでもあった。
 
自衛官の、ある軍事評論家は、「損耗率7割の被害を前提とする作戦を立てるなんて、旧帝国陸軍の頭でっかちで空想的な作戦参謀ですら立案しない」とまで酷評した。
 
 
常識的には、軍隊は3割の戦力を「損耗」すると全滅判定されるから、7割損傷前提など、「戦略」ですらない。
 
まさに日本軍ならではの玉砕「思想」だ。
 
74年前、
 
日本軍は、自爆の人間ロケットに桜の花の名前をつけ、若者のいのちを浪費させる自らの作戦を、散る桜の花びらにたとえた。
 
それを発明し、それを運営してきた大人たちは、桜花に乗ることはなかった。
 
 
自爆人間ロケットを「桜花」と名付けるやり方は、
まさに一国の「狂気」を桜の花で隠すやり方、
そのものだった。
  
こんな感傷的な印象戦略で、
 
今も、
 
暴力の本質を見ることなく、
思考停止し、
 
簡単に権力と暴力に収斂されていく国民性がある。
 
自爆人間ロケット構想は美しいものだったのか。
 
桜花は桜の花のように美しいのか。
 
米軍は、それを日本語の「馬鹿」をそのまま使ったコードネーム Baka Bomb と呼んだ。

 

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74年前、
本土でソメイヨシノが一斉にまい散るこの時期、
 
沖縄では、
 
たくさんの若者たちのいのちが、海や大地に叩きつけられていた。
 
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